2019年6月30日日曜日

泡坂妻夫 『妖女のねむり』



名匠が幻想味あふれる物語に仕掛けた本格ミステリの罠。
廃品回収のアルバイト中に見つけた樋口一葉の手になる一枚の反故紙。小説らしき断簡の前後を求めて上諏訪へ向かった真一は、妖しの美女麻芸に出会う。目が合った瞬間、どこかでお会いしましたねと口にした真一が奇妙な既視感に戸惑っていると、麻芸は世にも不思議なことを言う。わたしたちは結ばれることなく死んでいった恋人たちの生まれかわりよ。今度こそ幸せになりましょう。西原牧湖だった過去のわたしは、平吹貢一郎だったあなたを殺してしまったの……。前世をたどる真一と麻芸が解き明かしていく秘められた事実とは。/解説=松浦正人
というようなお話。サンプル読んだら面白そうだったのでそのまま読み進めたのだけど、なんとなく名前は聞いたことがあったせいもあり、あらすじも先に読んでいなかったものだから、話が樋口一葉から離れて生まれ変わりモチーフになったところでまず「ほへ?」となった。この時点で一瞬放り投げてしまおうかとも考えたのだけど、『亜愛一郎の狼狽』(amazon)から始まるシリーズで構成の繊細さはわかっている泡坂妻夫なだけに、どんな世界設定であろうと最後までいけば感心できるだろうと思い直して読み進んだ。案の定よくできていた。ここで言うよくできていたというのは、実に細かいところまで謎と解答が張りめぐらされていたことと、作品内論理がしっかり構築されていたことを指している。ただし、そう思うためには、ひとつ大きな壁を乗り越えなくてはいけなくて、それは主人公の真一がなんだってころっと転生を信じちゃうのかという大謎。そこだけ納得がいかなくて、実際問題信じてくれなきゃ物語の論理が起動できないからなので、目くじらを立てないのが正しい部分ではあるけれども、この弱さがあるためある程度読者を選ぶかもしれないなどとも思った。上記シリーズもそうだけど、設定の世界に入れるか(もっと言えばそこをとりあえず呑めるか)は、泡坂読むときには割と難所になるように思う。最低そこを見逃してやれば、楽しく読めるし、隅々まで行き届いた目配りに感心もできるんだけどね。おお、そうくるの! みたいな場面はもちろんあったし、なんと! そんなことが! な場面もあれこれあり、あるキャラクターについてはもうちょっと書いてみたい気もするのだけど、ミステリーはネタバレとの兼ね合いが難しいのでやめておく(感心するところ=なんらかの謎が解けるところだからねえ)。
 なお、一葉やら明治文学やらについてのマニアックな背景知識とかはいっさい必要なく読めるので、冒頭読んでリズムが合うとか、面白そうと思ったらそのまま最後までいけるはずである。伏線の回収も見事なのでそういうの好きな人向き。


妖女のねむり (創元推理文庫)

2019年6月7日金曜日

Agatha Christie " A Pocket Full of Rye"



 ミス・マープルシリーズの長編第五弾。
 読んだのはこのバージョン。


日本語訳はこれ。


 あらすじも日本語版から引用してみよう。

投資信託会社社長の毒殺事件を皮切りにフォテスキュー家で起こった三つの殺人事件。その中に、ミス・マープルが仕込んだ若いメイドが、洗濯バサミで鼻を挟まれた絞殺死体で発見された事件があった。義憤に駆られたマープルが、犯人に鉄槌を下す! マザー・グースに材を取った中期の傑作。
上記のボックス・セットで最初から読んでいって、たまたま順番がこれだったというのもあるが、『アガサ・クリスティ完全攻略』(感想)でマープル長編最高昨評価(正確にはトップタイ)が出ていたので読んでみるかと。ドラマ版の記憶もほとんど消えていて、犯人が誰かということくらいしか覚えていなかった。
 で『完全攻略』で
 まず何より、
 ミス・マープルがカッコいい。
 ということを強調しておきたい。彼女の登場シーンに私は鳥肌を立てた。カッコいいのだ。
と紹介されていたので、ミス・マープルが登場するのを楽しみに読み進めたのだけども、なかなか出てこなかった。なんと13章までお預けであった。そこまでには上記の事件が起きたり、家族内の勢力図やら人間関係やら会社のそれやらをニールって刑事が一生懸命追いかける。で、黒ツグミのマザーグースって鍵を遠路はるばるやってきたミス・マープルが持ち込み、ここで探偵交代かと思いきや、さらにニールの捜査がメイン。考えてみれば『火曜クラブ』(amazon)とかでは安楽椅子探偵だったよマープル。で、なぜかニール刑事の文字列を見るたびに、『ストリート・キッズ』(amazon)ニール・ケアリーを思い浮かべてしまって、ウィンズロウを読み返したくなった(なんでだろう。そして、今amazon確認したら表紙が昔と違っててショックだった)。
  あらすじ紹介にも『完全攻略』にも言及はなかった気がするが、『ライ麦……』でいちばん気に入ったキャラクターは最初の被害者の前妻の姉だか妹だかであるミス・ラムズボトム。この人と遠地から戻ってきた被害者の次男ランスとが会話する12章の1が個人的にはお気に入りの場面になった。不吉な雰囲気をうまく醸し出してると思う。こういうのあると中だるみを避けられるよね。まあ、どのみち次の章でミス・マープル出てきて、見立て殺人のモチーフが導入されてギアが変わるんだけどさ。
 あとは25章の最後の一文なんかもクリスティーっぽいというか、『魔術の殺人』のある場面を思い出したので、マープルものっぽいというか、上手に次の章を読ませるよなあ。こんなん言われたらやめるわけにはいかないとページをめくった(ドラマ版を見ていて、犯人だけ覚えていたというのに)。
 正直に言うと、10章までの展開はいささかかったるいし出てくる人も多いので人によっては苦痛かもしれないが、そこを過ぎれば安定した面白さが始まる。でもって後半の安定した面白さを支えるのが冒頭10章分で提示されたデータだったりするので、あくびしながらでもとにかく11章へたどり着くのが大切。最後には評判のいいラストシーンが待っている。未読の人は読んで損なしですよ~。

2019年6月5日水曜日

宮内悠介 『偶然の聖地』





小説という、旅に出る。
国、ジェンダー、SNS――ボーダーなき時代に、鬼才・宮内悠介が届ける世界地図。本文に300を超える「註」がついた、最新長編小説。
秋のあとに訪れる短い春、旅春。それは、時空がかかる病である――。人間ではなく世界の不具合を治す“世界医”。密室で発見されたミイラ化遺体。カトマンズの日本食店のカツ丼の味。宇宙エレベーターを奏でる巨人。世界一つまらない街はどこか・・・・・・。オーディオ・コメンタリーのように親密な325個の注釈にガイドされながら楽しく巡る、宮内版“すばらしい世界旅行”。“偶然の旅行者”たちはイシュクト山を目指す。合い言葉は、「迷ったら右」!――大森望(書評家)
この小説を体感していると、混沌と秩序って、向こう岸にあるのではなく、隣にあるのではないかと思えてくる。生きる上で生じたバグに体を浸し、誰かと誰かのハブになる。バグとハブもまた、隣にあるのではないか。1ページごとに困惑がやってくる。困惑がやがて快楽に変わる。困惑と快楽、これもまた隣にある。一体どういうことだろう。――武田砂鉄(ライター)
直木賞候補3回、芥川賞候補2回の著者による現時点での最新作。
「百とも千とも言われる登山者たちを遭難死させてきた」「神の検索すら斥ける」「上空を飛ぶ衛星すら落とす」「登攀中の登山者に意識変容を起こす」などなどの物騒な形容がつく山イシュクト。語り手の怜威(レイ)の祖父朗朝(あきら)はそのイシュクトに入ったのを最後に消息を絶ち、えっらい時間が経ってから、そこで子をなしたという情報が飛び込んできて、レイはその話が本当かどうかを確かめるべくイシュクトを目指す……のだが、なかなか旅は始まらず、以前イシュクトに入ったというティトの思い出話、時空がかかる病旅春と世界医の紹介などが語られるうち70ページ近く進み、やっと旅が始まったと思えば、なんとレイが出発したあとの部屋からミイラ化した死体が出現して警察が出張ってきたりでなかなか前に進まない(が、死体を発見したレイの父親の行動は「ああ、なるほど、たしかに」と思うような軽快な新しさとでも言うものがあって、この脱線も楽しかった)。で、筋がなかなか進まないうえに、本書には300を超える註がついていて、それもまた前進を阻む。註と言っても普通の本の註とはちょっと違う。たとえばp.8「ドラゴンと呼ばれる零下一七〇度の寒気団」に付された註(本書最初の註でもある)はこんな感じ。

【ドラゴンと呼ばれる零下一七〇度の寒気団】 この素晴らしく心惹かれる現象は、しかしながら、知る限り登山漫画の『K』(谷口ジロー画・遠崎史朗作)にしか見ることができない。ぼくはこの存在をかたくなに信じているので、本作註にドラゴンは実在する。
もう一個、例示。ブリジット・バルドーに線が引かれてて註はこんな感じ。

【ブリジット・バルドー】女優。魔夜峰央『パタリロ!』に「B・Bは?」「ブリジット・バルドー」「M・Mは?」「マリリン・モンロー」「魔夜峰央です」というネタがあった。
雰囲気を掴んでもらえただろうか。前者はリアリティーを補完しないための註だし、後者はブリジット・バルドーの情報をほとんど増やさない。ほかにも死体登場で現場にやってきた刑事のルディガーが前後左右に手を動かして空にマインドマップを描いている描写の註に至っては、

【前後左右に図形を描いている】浦沢直樹『MONSTER』に出てくるあの名前を忘れた刑事さんの癖から。あれは確かコンピュータのタイピングであったか。
である。註のせいで自分もあの刑事の名前を忘れていることに気づいて悶々とし「助けてグリマーさん」とか思って、しばし『MONSTER』世界を彷徨うことになった(なお刑事の名前はルンゲである)。と、こんな感じに本書の註のほとんどは脱線への誘いと呼んでも間違ってはいないテイストを持っている。ストーリーテリングも註もが脱線しろー脱線しろーと言っているのだから、先へ先へと行くような読み方もできようはずがなく、文中に「モロッコ」と出てくれば『カサブランカ』の冒頭なんかを思い出して、脳内で「君の瞳に乾杯」の場面を再生したり、「定量的に」「定量的にだ」という会話を見ては村上春樹の小説に思いを馳せたり、注釈入れるために本文上下が詰まったレイアウトになっていて、「なんか書け」って言われているような気がしてきて、つい書き込みとかしちゃったり(これは註172で「旅人ノート」なるアイテムが紹介されているところから、「この本を旅人ノート化しろって指示が出ている」と思い込んだせいもある)と、小説読んでるんだか、これをきっかけに記憶の棚卸しをしているんだかわからないような珍しい読書体験(当然進まないので長旅になる)ができた。註を使った小説と言えば、思いつくのは『青白い炎』(amazon)なんだけど、あれは註から物語を浮かびあがらせるのを狙っているのに対して、本書の註はDVD(ブルーレイでもいい)ソフトのコメンタリー機能みたいなものになっていて、そのせいで『Sherlock』の第三話(だったと思う)で、結構緊迫した場面に流れたコメント「なんで携帯つながるの?」とかも思い出した。いや、そんな感じの註がたくさんあってだね。紙はもちろん、電書も固定レイアウトなので、この註の「オン/オフ」が選べないところが残念と言えば残念かもしれない。とはいえ、これくらい裏側を見せてくれると、取っつきやすさはあがるとも思った。難しげな単語に「書いてみたかっただけ」とか註が入っていれば、気にせず進めるし。

ほかの読者が読みながら余白に書き込み入れまくって出来上がったその人だけの『偶然の聖地』とか読んでみたい。註の話に終始したのは脱線への誘いが多々盛り込まれていながら、しっかりエンタメの構造があって、おおってところもあって、そこをネタバレさせたくなかったからで(とりあえず世界をデバッグする話だった、くらいのことは言ってもいいだろうか。)、ストーリーがどう進んでいくのかは自分で読んで確かめてもらいたい。結構な傑作だと思うが、たとえばこれが候補作になるなら、芥川賞と直木賞のどっち? などと考えると結構悩む。そういうあんまり類書のない=新しいもの好きのほうがより楽しめるだろうなあ。


偶然の聖地

追記:書き忘れてたんだけど、この本で一番遊んでる箇所は「25. ラーワルピンディ特別区」だと思う。この章の註は、まったく線部の説明を果たしてなく、かつ辞書の語釈っぽいもので統一されている。しれっと註がバグっているのである。ここまでやるかと笑ったのだった。

2019年5月21日火曜日

ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳 『ボーン・コレクター』





 『アガサ・クリスティー完全攻略』(感想)で、何度もディーヴァーへの言及があったために、うっかり載せられて読んでみた。リンカーン・ライムシリーズ第一弾。名前はもちろん知っていたのだけども、映画版(amazon)を二十年近くまえに見ていて(アンジェリーナ・ジョリーが出ていたことも忘れていたよ)のもあって手に取らず、一作目のこれを読まないからシリーズの後続作品も読まずでずっときていた。褒めてる人が多いのはわかっていたんだけどもね。なのに、直接褒めまくってるわけじゃない『完全攻略』がきっかけになるんだから我ながらよくわからないのだけれども、これも『完全攻略』の熱さゆえのことであろう(感想では一部けなしているが、熱い本なのは間違いないんだ、ほんとに。だから残念だって話で)。ついでに言うと、映画の内容をほとんど綺麗さっぱり忘れるだけの時間が経ったというのもある。もうね、最初のほうのライムがケガした場面しか思い出せなくなっていた。

 で、読んだんだけど、面白いね、これ。国際会議期間に起きた誘拐事件から始まり、地面から手だけ出ていて、皮膚をそがれた男性の指に女ものの指輪がはまっているという冒頭のインパクト。有名になりすぎているために、っていうか、あらすじ紹介にまで書かれてしまっているから効果が失われているライムの設定を隠すような描写。そして始まる連続タイムリミット・サスペンス。上で書いた「女ものの指輪」は犯人からのメッセージで「次の被害者がいるぞ」。それと現場の鑑識で見つかった手がかりから被害者の居場所を特定して追いかける。生きているうちに発見できるのか。そして犯人の目的は? 国際会議との絡みでテロが疑われ、FBIとニューヨーク市警のどっちが事件を担当するかをめぐる葛藤も。でもって、ライムや女性刑事のアメリア・サックス自身のやりたいことも事件によって阻害されるといった按配で要素がよく絡んでる。

 割と目にするディーヴァー評にはページターナーという言い方がある。のだけども、今作に関しては設定が出揃ったあと、少し単調になるところもあった(下巻の出だしくらい)。タイムリミットサスペンスを並べているだけでインフレしてないからだろう。慣れるのである。

 なんだけども、そこを抜けたあと、下巻の282ページからは確かにページをめくる手が止まらない。そして309ページからのめくるめく展開。これ、無駄じゃない? という要素ががちんとプロットに組み込まれ、さらには機能を終えたと思う要素が復活し「うわ、そう来るの!」と爽快な笑いさえ洩れながら読了した。ほんと、このあたり全ネタバレで喋りたいくらいよかった。

 読み終わって思い出したのは、昔友達に誘われて出かけていったフジロックである。おれは聞いたこともないようなミュージシャンが何人も出てきて、わけもわからないままピョンピョン跳ねていたなか、突然、井上陽水が現れて『少年時代』を歌った。それぞれに尖ってるっぽい客がみんな、夏が過ぎ風あざみな雰囲気でまったりと耳を傾け、場の雰囲気が揚水色に染まった。そのとき思ったのは、「いや、ずっと一線で、みんなが知ってるような人ってのは、やっぱりすげえもんである」ということだった。何が言いたいかというと、ディーヴァーもそんな感じで、みんなが長い期間(←ここ大事)褒め続けている作家はやっぱり手を出してみるだけの価値があるということだ。読んでよかった。



ボーン・コレクター 上 (文春文庫)


ボーン・コレクター 下 (文春文庫)

2019年5月15日水曜日

石川淳 『天馬賦』



 このブログ立ちあげたあたりから、なぜかまったく小説を読んでいなかった。で、先日『石川淳評論選』(amazon)を読んで、全体は砂を噛むような読書だったけれども、何か動きを書いてるときには、やっぱり独特の魅力があるなとか思い、本棚の肥やしになっていた本書を引っ張り出した。短編集。
 収録作品は「靴みがきの一日」「鸚鵡石」「無明」「鏡の中」「一露」「若菜」「虎の國」「天馬賦」の8本。タイミングが悪かったのかあまりピンと来る作品にはぶつからなかった。あえて言えば、「鏡の中」がいちばん読んでて楽しかったかなあ。昔の知り合いが理髪店の店主のところに尋ねてきて……って話。時代物はどれも何がやりたいのかよくわからなかった。アクションはキレがあると言えばあるんだけど、全体としては「はて」ってな感じ。ただ、たとえば「若菜」の書き出し

黒っぽい頭巾をした老人がそこにむっくりうづくまっていた。なにものかがいるような気がして、ふと目をあげると、英三は火鉢の向うにその老人のすがたをみとめた。しぜん炭をつぎかけていた手をとめて、ぢっと見つめるうちに、こいつはどうやら利休ではないか、いや、てっきり利休の亡霊にちがいないと、英三はおもった。そうおもった以上、もはやそれよりほかのものではない。太閤に殺された利休である。(原文旧字旧かな)
などは、「焼跡のイエス」(感想)なんかを思い出してちょっと楽しかった。そういえば、「紫苑物語」(感想)って歌劇になったんだってね。どっちかというとスーパー歌舞伎とかにしたほうが似合いそうな気がするのだけど(大穴はアニメ)、どんな仕上がりなんだろう。
 全然褒めてはいないのだけど、この作家がすげえのは、こんな感想しか残らないのに読んでるときの文章自体は読んでて結構気持ちがいいってところなんだよね。相性の問題だろうけど。なんですでに次は何を読もうかと考え中だったりする。いつ読んでもそこは不思議。


天馬賦 (中公文庫)

2019年5月14日火曜日

清沢洌 『暗黒日記 1942-1945』




太平洋戦争下,豊かな国際感覚と幅広い交友をもとに,当時の政治・経済状況や身辺の生活をいきいきと記した希有な記録(原題「戦争日記」).外交評論家・清沢洌(一八九〇―一九四五)は,将来日本現代史を書くための備忘録として,この日記を書きつづけたが,その鋭い時局批判はリベラリズムの一つの頂点を示している.人名・事項索引を付す.
名前だけは以前から知っていた本で、ずっと戦中の日記なんて読んでも実感としてはわからんだろうとスルーしていた(『きけ わだつみのこえ』(amazon)を若いときに覗いて得た実感に基づく)のだけど、政治がとち狂い続けている現状なら、逆に面白く読めるのではないかと思って手に取った。直接的には『流言・投書の太平洋戦争』(感想)に出てきた引用を読んだのがきっかけだったような気がする。戦争が終わったら書こうと思っていた著作の準備として記された日記で、戦争が終わるより早く著者が亡くなってしまったために尻切れトンボな感じはぬぐえなかった(最後のエントリー(?)は結婚式に出てスピーチしたって話で終わってるし)。

 読んだ結果として主な感想はふたつ。ひとつは「やべえ、ほんとに現在と当時の差がそれほど大きくない」。太鼓持ちのジャーナリスト(名前が何度もあがっているのは徳富蘇峰)や、馬鹿な政治家が精神論だけ唱えていて、無知な大衆がそれを鵜呑みにして、そういうのを量産してる原因は教育にあって、そこから変えなければいけない、みたいな話はそのまま今日の社会批評でもお目にかかるような気がする。そういう意味では大日本帝国がぶっ潰れて一面焼け野原になったのは、あくまでも環境がリセットされただけだったんだなというふうに思った。白井聡が『永続敗戦論』(感想)で、「自主的決意による革新・革命の絶対的否定を意味するもの」「絶対的に変化を拒むもの」とまとめた国体はしっかり残ってるわ、やっぱり。

 もうひとつは「リベラリズムの一つの頂点ってこんなもんか」。リベラリズム偏差値的には結構高かったんだろうと思うし、世の中のあれこれが今よりさらにおかしかった時期に、よく素面でいられたなという気もするのだけど、国体護持って目標は著者も共有してるんだよね。教育の不備を嘆いているのに、それが国体に都合のいい教育カリキュラムだという点は無視している節がある。戦争の結果、天皇の責任が問われないことを願っていたり、明治天皇や伊藤博文持ちあげていたりってところも、まあ、当時の知識人だからなあと思いつつ、「リベリズムの頂点低くね?」と、首をちょっと傾げながら読んだ。もちろんこれは人間が真空状態で思考できない=どんなに頑張っても環境の影響を受けるってことなんだろうとは思う。あんまりにも悲惨な知的社会的荒廃のなかで暮らしているのだから、原点がこちらの求める地点とは違っているのだ(し、だからこそ、今読んで参考になるところもあるわけだ)。

 岩波文庫が本書を出したのは好景気に沸き、ベルリンの壁も崩れちゃった直後の1990年。当時は往事を懐かしむ資料にしかならなかったんじゃないかという気もする。むしろ今こそ読まれるべき本(今がどの程度おかしいのかの指標をくれるから)だと思うんだけども、岩波文庫もちくま学芸文庫も品切れで、新刊で入手できるのは評論社のクソ高いバージョン(amazon)だけなのが、なかなかままならない感じがする。今復刊したら売れると思うんだけどな。アメリカじゃトランプ政権発足で『1984年』(amazon)が売れるようになったみたいな話あったじゃん。あれと似た需要が寝てる気がしてならない。本書とついでに本書で何度も取り上げられて褒められていた正木ひろしの『近きより』をまとめて出してくれないかなあ、岩波でも筑摩でもいいんだけどさ。


暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

2019年5月12日日曜日

白井聡 『永続敗戦論』



『国体論』(感想)が面白かったので、遡る形でこちらも読んだ。原発事故、領土問題などをトピックに耐用年数がとっくに切れてしまった「戦後レジーム」の正体を分析する本ってところだろうか。タイトルになっている「永続敗戦」とは、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)ために、際限なき対米従属を対価を払い続ける体制のこと。この構造が戦後の根本レジームであると著者は言う。

事あるごとに「戦後民主主義」に対する不平を言い立て戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、「戦後を終わらせる」ことを実行しないという言行不一致を犯しながらも長きにわたり権力を独占することができたのは、このレジームが相当の安定性を築き上げることに成功したがゆえである。彼らの主観においては、大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けた」のではない)、「神洲腐敗」の神話は生きている。しかし、かかる「信念」は、究極的には、第二次大戦後の米国による対日処理の正当性と衝突せざるを得ない。それは、突き詰めれば、ポツダム宣言受諾を否定し、東京裁判を否定し、サンフランシスコ講和条約をも否定することとなる(もう一度対米開戦し、勝利せねばならない)。言うまでもなく、彼らはそのような筋の通った「蛮勇」を持ち合わせていない。ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く――それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。
『国体論』にしても本書にしても、知らなかった論理は結構あるけれども(個人的には、本書でならそれは二章の領土問題の部分に集中して現れた。)大半の読者にとっては新しいパースペクティブが広がる気持ちを味わえる箇所は多くない。考えるまでもなく、われわれは「侮辱のなかに生きている」し、「対内的にも対外的にも無能で『恥ずかしい』政府しか持つことができず、そのことがわれわれの物質的な日常生活をも直接的に破壊するに至ることになる(福島原発事故について言えば、すでに破壊している)という事実」に直面している。無際限な対米従属はずっと日常の景色である。それが「われわれの知的および倫理的怠惰を燃料としている」のも体感として知っている。著者自身、「本書を書くにあたって何か新しいことを言いたいとは思わなかった」「本書は、これまで何度も指摘されてきた、対内的にも対外的にも戦争責任をきわめて不十分にしか問うていないという戦後日本の問題をあらためて指摘したにすぎない。」とあとがきで述べている。ではなぜ本書は書かれたのか。

いま必要なことは議論の目新しさではない、「真っ当な声」を一人でも多くの人が上げなければならない、という思いに駆られて私は本書の執筆に取り組んだ。
そして、その際、支えとしたのはガンジーの次の言葉だったという。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」
なんていいこと言うんだ、ガンジー。そしてこの言葉を支えに本書を書ききった著者は最後にこう訴える。
「侮辱のなかに生きる」ことに順応することは、「世界によって自分が変えられる」ことにほからならない。私はそのような「変革」を断固として拒絶する。私が本書を読む人々に何かを求めることが許されるとすれば、それは、このような「拒絶」を共にすることへの誘いを投げ掛けることであるに違いない。
本書親本が出た2012年(「対外関係をめぐる幼稚で無知なわめき声」が喧伝された時期)から7年近く、文庫本が出た2016年(対米従属を加速させるための安保法制施行)から3年近くが経った。森友疑惑から始まった、縁故主義、公文書改竄、勤労統計不正などの露呈、うち続く外交の失敗はいよいよもってわれわれが「侮辱のなかに生きている」現実を突きつけている。であればこそ、著者の呼び掛けは重要だ。なぜならこの「変革」とやらは旗振り役すらどこへ向かおうとしているのかわかっちゃいないことがすでに明らかである以上、どんな理想を持つ人であれ、(つまり、右翼っぽい考えの人でも左翼っぽい考えの人でも政治に関心がない人でも)、拒絶しない理由がないからである。もし、今のような支離滅裂な政治によって「自分が変えられる」ことを甘んじるなら、奴隷に墜ちるしかない(たとえば、前回消費税アップを社会福祉費のためには仕方ないと受け入れた結果を見て、怒る気にもならないとすれば、その理由はすでに奴隷の価値観に染まっているからだ)。煎じ詰めれば、著者は「人間たれ」と訴えているのだと思われる。そして現在において、これほど重要なメッセージはあまりない。


永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)