2019年5月12日日曜日

白井聡 『永続敗戦論』



『国体論』(感想)が面白かったので、遡る形でこちらも読んだ。原発事故、領土問題などをトピックに耐用年数がとっくに切れてしまった「戦後レジーム」の正体を分析する本ってところだろうか。タイトルになっている「永続敗戦」とは、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)ために、際限なき対米従属を対価を払い続ける体制のこと。この構造が戦後の根本レジームであると著者は言う。

事あるごとに「戦後民主主義」に対する不平を言い立て戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、「戦後を終わらせる」ことを実行しないという言行不一致を犯しながらも長きにわたり権力を独占することができたのは、このレジームが相当の安定性を築き上げることに成功したがゆえである。彼らの主観においては、大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けた」のではない)、「神洲腐敗」の神話は生きている。しかし、かかる「信念」は、究極的には、第二次大戦後の米国による対日処理の正当性と衝突せざるを得ない。それは、突き詰めれば、ポツダム宣言受諾を否定し、東京裁判を否定し、サンフランシスコ講和条約をも否定することとなる(もう一度対米開戦し、勝利せねばならない)。言うまでもなく、彼らはそのような筋の通った「蛮勇」を持ち合わせていない。ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く――それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。
『国体論』にしても本書にしても、知らなかった論理は結構あるけれども(個人的には、本書でならそれは二章の領土問題の部分に集中して現れた。)大半の読者にとっては新しいパースペクティブが広がる気持ちを味わえる箇所は多くない。考えるまでもなく、われわれは「侮辱のなかに生きている」し、「対内的にも対外的にも無能で『恥ずかしい』政府しか持つことができず、そのことがわれわれの物質的な日常生活をも直接的に破壊するに至ることになる(福島原発事故について言えば、すでに破壊している)という事実」に直面している。無際限な対米従属はずっと日常の景色である。それが「われわれの知的および倫理的怠惰を燃料としている」のも体感として知っている。著者自身、「本書を書くにあたって何か新しいことを言いたいとは思わなかった」「本書は、これまで何度も指摘されてきた、対内的にも対外的にも戦争責任をきわめて不十分にしか問うていないという戦後日本の問題をあらためて指摘したにすぎない。」とあとがきで述べている。ではなぜ本書は書かれたのか。

いま必要なことは議論の目新しさではない、「真っ当な声」を一人でも多くの人が上げなければならない、という思いに駆られて私は本書の執筆に取り組んだ。
そして、その際、支えとしたのはガンジーの次の言葉だったという。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」
なんていいこと言うんだ、ガンジー。そしてこの言葉を支えに本書を書ききった著者は最後にこう訴える。
「侮辱のなかに生きる」ことに順応することは、「世界によって自分が変えられる」ことにほからならない。私はそのような「変革」を断固として拒絶する。私が本書を読む人々に何かを求めることが許されるとすれば、それは、このような「拒絶」を共にすることへの誘いを投げ掛けることであるに違いない。
本書親本が出た2012年(「対外関係をめぐる幼稚で無知なわめき声」が喧伝された時期)から7年近く、文庫本が出た2016年(対米従属を加速させるための安保法制施行)から3年近くが経った。森友疑惑から始まった、縁故主義、公文書改竄、勤労統計不正などの露呈、うち続く外交の失敗はいよいよもってわれわれが「侮辱のなかに生きている」現実を突きつけている。であればこそ、著者の呼び掛けは重要だ。なぜならこの「変革」とやらは旗振り役すらどこへ向かおうとしているのかわかっちゃいないことがすでに明らかである以上、どんな理想を持つ人であれ、(つまり、右翼っぽい考えの人でも左翼っぽい考えの人でも政治に関心がない人でも)、拒絶しない理由がないからである。もし、今のような支離滅裂な政治によって「自分が変えられる」ことを甘んじるなら、奴隷に墜ちるしかない(たとえば、前回消費税アップを社会福祉費のためには仕方ないと受け入れた結果を見て、怒る気にもならないとすれば、その理由はすでに奴隷の価値観に染まっているからだ)。煎じ詰めれば、著者は「人間たれ」と訴えているのだと思われる。そして現在において、これほど重要なメッセージはあまりない。


永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)

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