2022年8月7日日曜日

樋田毅 『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』

 

  
  一九八七年五月三日に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った目出し帽の男に襲われた。当時二九歳の小尻知博記者が射殺され、当時四二歳の犬飼兵衛記者が重傷を負った。この事件を含め、約三年四か月の間に計八件起きた 「赤報隊」による襲撃・脅迫事件は、二〇〇三年三月にすべて公訴時効となった。記者が国内で政治的テロによって殺された事件は、日本の言論史上、ほかにはない。
 という書き出しで始まる本書を読もうと思ったのは、ツイッターで流れてきたきた以下の引用箇所に驚いたからだった。

α日報の記者だった頃、田中さんの指示で定期的に朝日新聞のN編集委員に会い、田中さんから預かった五万円ないし一〇万円の金を渡していたんです。彼は被害者の父母の会の情報などをα教会に流していた。また、α教会などの批判記事を抑えてもらうことへの報酬でした。朝日新聞東京本社の編集局に金を持って行ったこともあります。週刊誌のページを切り抜いて一万円札を順に貼り付け、この週刊誌を紙袋に入れて、人目もはばからず彼に渡すんです。(167ページ)

 このα日報ってのは『世界日報』のこと。α教会は統一教会。田中は仮名。証言があったのは 1992年。なお、著者はN編集委員の立場で同僚記者の記事の出稿を抑えることは不可能だったはずだと述べてもいる(171ページ)。それはさておき、ファーストインプレッションとして、流れてきた引用見て「何それ」と思ったわけ。だってさ、赤報隊事件についてなんて、最初の引用の「この事件を含め、約三年四か月の間に計八件起きた」の部分も知らなかったから、ずっと右翼の言論テロだと思ってたんだよね。なんでここに統一教会の話? って疑問から読んでみた。そしたら前書きのなかで、

 キリスト教系の新興宗教団体、及び関連政治団体についても、同様の視点で初めて真正面から取り上げた。大規模な合同結婚式などで世間を騒がせた教団だが、一連の襲撃事件当時、霊感商法や国家秘密法などの報道を巡って朝日新聞と緊張関係にあった。捜査当局も、この教団に対して重大な関心を寄せ続けたが、事件との関わりを解明できなかった。しかし、私は取材の過程で知ることになった「事実」を、 歴史の闇に葬り去る訳にはいかないと考えた。
 この教団は、隣国の韓国で創設された。韓国を他民族に優越して救われる「選民の国」とし、日本を「サタン(悪魔)側」と位置付ける。日本社会には、戦前まで朝鮮半島を植民地支配してきたことに対する「贖罪意識」が色濃く残っている。この教団は、こうした贖罪意識に乗じる形で信者を増やし、「霊感商法」という詐欺まがいの資金集めを続け、敵対者への巧妙な攻撃などを重ねてきたとされる。宗教や信仰への配慮などから、これまで書いてこなかった取材内容に改めて驚かれる読者も多いと思う。
 当初の原稿はすべて実名で書いた。しかし、取材対象者への配慮から、 一部を除いて仮名にさせていただいた。前記のキリスト教系新興宗教団体については、教団名はα教会(または教団)、教祖はα氏(またはα教祖)、関連の政治組織はα連合(または関連政治団体)、学生組織はα研究会(またはα運動)、関連の新聞社はα日報とそれぞれ表記した。各人物の肩書きは取材当時のもの、年齢は二〇一八年一月現在で表記した。
 とあった。統一教会が「一連の襲撃事件当時、霊感商法や国家秘密法などの報道を巡って朝日新聞と緊張関係があった」というのは、以下の経緯があったからだ。
C記者とN編集委員が「α教会とα連合を取材すべきだ」と強く主張した根拠はいくつもあった。
 α教会については、いわゆる霊感商法の問題があった。先祖の怨念・祟りを浄化するために効果があると称して、壺や念珠、多宝塔などを法外な値で売る。当時、 α教会の信者らが全国各地でこうした商法を展開しており、朝日新聞と朝日新聞社が発行していた週刊誌『朝日ジャーナル』(現在は休刊中)が、被害者救済に取り組む弁護士グループなどと連携し、「詐欺的商法」として糾弾キャンペーンを続けていた。(135ページ。なお、ここで出てくるN編集委員はお金を受け取っていたという話が出ていた人と同一人物。)

 朝日新聞は1967年から原理運動を批判的に取り上げており、「信者らが朝日新聞に敵意を抱く大きな理由とも言われていた」。また、阪神支局襲撃事件から三日後の一九八七年五月六日には、東京本社に「αきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれた脅迫状も届いている。脅迫状が入っていた封筒には、散弾銃の使用済みの散弾容器二個も同封されていたそうで、それは阪神支局襲撃に使用された散弾と同じメーカー、同じ種類のものだった(製造国に違いはあった)。しかも、脅迫状が届いた時点では、阪神支局襲撃に使用された散弾の情報は新聞でもテレビでも、まだ報道されていなかった。封書の消印は当時、α教会の本部があった渋谷 。 なるほど、そりゃ取り上げる。

 そんなわけで本文は阪神支局襲撃事件から説き起こし、八件の襲撃・脅迫事件を略述した後、取材対象とのやり取りの紹介に入るという流れ。取材対象は前半が右翼関係者、後半が統一教会関係者。

 もちろん扱っているのは公訴時効を迎えた未解決事件なので「犯人はこいつだ!」みたいな記述はない。たとえ状況証拠を示しても「決め手に欠ける」としっかり書いて読者が飛躍した結論へ飛ぼうとするのに釘を刺す。事件解決へのカタルシスはさっぱりない。現在品切れなのも、半分はそうした結論部分の弱さのせいなんじゃないかと思った。

 ただ、焦点をちょっとずらすと、統一教会の浸透ぶりがよくわかる本というふうに姿を変えるのが、実はその点こそがこの本の真価なのではないかと思った。

 一例を挙げると178ページの2002年の信者インタビューがある。取材対象の清元氏(仮名)は共勝連合の一員。教団に敵対する動きへの対処協議する「対策委員会」のメンバーを70年代から務め、陰の仕事を担当していたという。赤報隊事件への教団の関与を否定するなかでさらっとこんなことを言っている。

「七〇年代後半、清元さんの下で特殊部隊が作られたと思いますが」(V記者)
「特殊部隊って何でしょう」(清元氏)
「名称はよく分かりませんが、たとえば諜報活動とか。 公然ではない、いろいろな情報活動、今の国の動きをウオッチングするとか」(V記者)
「それなら私も関係していました。やっぱり国を変えるということは、政治家を変えなきゃいけないということですから。そのために、具体的に政治家に秘書を送り込むとか、それを通して政治家に対して、要するに教祖の思想を啓蒙するということは一貫してやってきました。そのための勉強会もやりました」(180ページ 太字は引用者)

「特殊部隊の話に戻りますが、高谷教会長の直轄で、清元さんが全体を取りまとめて、非常に限られたメンバーで、その人たちは教会の籍も抜けて、名前も消して集まったと聞いているんですが」(V記者)
「いや、ちょっと待ってください。その話、私は認識が違います」(清元氏)
「我々は、長い間取材をしてきて、おたくの組織の中でそういう仕事ができるのは、力量というか、人格というか、清元さんしかいないという認識です」(V記者)
「そのことに関して、ちょっと、分からないですね。私に力量があるかどうかは別にして、高谷教会長と一緒に、特に自民党に対する、議員の先生方の啓蒙というか、そういったことは、よくやっていました」(清元氏) (182ページ 太字は引用者)

  2022年の今読めば、これは茂木幹事長の言い逃れを粉砕する証言だ。党と教団べったりじゃないですかやっぱり。自民党への浸透の話はここだけではなく、176ページにも、元『世界日報』記者の発言として、「α連合は創設当時から、自民党政治家への食い込み、影響力拡大に力を注いでいた。東京のスパイ防止法制定促進国民会議、各地のスパイ防止法制定促進市民会議もα連合が組織したという。教団の信者を自民党右派の国会議員や地方議員の秘書、さらには選挙運動の手足となる運動員として送り込み、「α派議員」を増やそうと躍起になっていたという。その一方で、α教会の裏の仕事、陰の仕事を請け負うのもα連合だった」(176ページ)と出ている。ここでいう「α派議員」の集まりが先日ちょっと話題になった「日本・世界平和議員連合懇談会(平和議連)」なんだろう。(参考:「山上容疑者は家庭がしっかりしていれば」旧統一教会系の自民議連トップ 奥野議員が激白

 また、こんな記述もある。

 全国の右翼の取り締まりを統括するのは警察庁の公安二課である。だが、事件のしばらく後、警察庁担当編集委員となっていたL記者の紹介で会った公安二課長(故人)の発言内容はにわかに信じられなかった。

「初めに言っておきますが、私は右翼を取り締まり対象とは考えていません。 彼らの愛国心、愛国的行動は評価しなければならない。ただ、日教組の大会などで社会ルールから逸脱する行動をすることが時折あるので、その時は彼らを善導してやるのが警察の任務です」(201ページ)

 この記述に176ページの「α連合は、自治省(現在の総務省)に届け出て、認められた政治団体であり、前述のように様々な右翼団体ともつながりを持っていた」、当時の「教会長は、立正佼成会の会長秘書だった人物で、知る人ぞ知る民族派だった。 香山α連合理事長や、襲われた田中さんを含めて、α教会・α連合の日本人幹部は生長の家の出身者が目立った。思想的にも右翼や自民党右派と結びつきやすかった」(名前は仮名)という記述を重ねて読めば、冷戦を背景に自民党や公安に統一教会がどうやって浸透していったのかが想像できる。 怖いのはこうした証言が取材時点では「赤報隊の話のついでとして」語られている=無駄な作り込みがされていないということだ。

 先に「現在品切れなのも、半分はそうした結論部分の弱さのせいなんじゃないかと思った」と書いたけれども、品切れの理由のもう半分は、こうした読みどころの紹介を岩波がやっていないことに起因しているのではないかと思われる。本書で紹介されている中曽根政権の反動政策のいくつかは安倍政権が繰り返した。が、たとえば朝日新聞は中曽根時代に行ったような反対紙面作成を安倍政権では行えなかった。言論の自由はなし崩しになりつつある。そうした現在、過去にあった朝日新聞の言論の自由への攻撃モチーフの未解決事件を売るのは難しいのかもしれないが、自民党と統一教会の癒着が取り沙汰されているこのときを商機に思えない岩波の鈍さが残念でならない。すぐに増刷して、自民党と統一教会の関係が読みどころの一つだというかたちで売り込んで欲しい。

2022年8月1日月曜日

永田浩三 『NHKと政治権力 番組改編事件当事者の証言』


政権党の有力政治家とNHK最高幹部が放送直前に接触し、慰安婦問題を扱った番組は著しく改変されてしまった。裁判の場でも争われ、多くの人々の関心を集めた二〇〇一年の事件の真相について、担当プロデューサーが沈黙を破って全過程を明らかにした。放送現場での葛藤、政権党と癒着するNHK幹部の姿勢を克明に記した本書は、NHK番組改変事件を知る上で最良の一冊である。関連資料収録。

 2001年に起きた、ETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」の第2夜放送「問われる戦時性暴力」への政治介入問題を番組プロデューサーだった著者が語った本。なんだけども、正直、本線のNHKが政治に忖度して隠蔽を図りましたってところにも関わった人たちのあれこれにもあんまり興味がなくて、じゃあなんで読んだのかって言えば、安倍元首相の成功体験ってこれが最初だったんじゃないの? と思ったから、なんとなく確認がしたくなってだったりする。

 本稿執筆時点では自民党と旧統一教会の癒着が話題になっている。きっかけは安倍元首相が暗殺され、犯人が旧統一教会信者二世だったことから、安倍元首相が旧統一教会関係団体の広告塔やっていた話がクローズアップされ、そこからあいつもこいつもと掘り返しが進んだことである。

 正直に白状すると、安倍元首相が殺される前は安倍元首相と旧統一教会の癒着について、情報として知ってはいても(ネットでは有名な話だった)、たとえば日本会議とか神道政治連盟とかと同じく怪しい関係の一つ程度の認識だった。例の挨拶動画(youtube)も見ていたけど、キモい以上の感想はなく、霊感商法のツボカルトと安倍元首相がくっついているのはむしろお似合いだくらいの認識だった。

 で、事件後に旧統一教会の教義なんかを目にするようになって(例のエバ国家ってやつね)はじめて「おや?」と思った。安倍政権に群がる有象無象って、愛国を旗印にしてたのに、なんでこんな教義のカルトと相乗りできるの? と不思議になったのである。てっきり「韓国にデカい顔したい」くらいが共通の目標かと思っていたのだけど、日本の信者の金を韓国の本部に送金させまくるカルトとくっついているのに、「それじゃ自分たちは応援できません」とならずにいるんだから、「愛国」も建前で「ほかの相違点は棚上げしてもこれだけは達成したい」なポイントはどうやら別にあるらしい。じゃあそれはなんだろうと考えた結果、思いついたのが「健常な男性異性愛者以外は二級市民という社会の維持」なんじゃないかということだった。

 なんてことを考えていたときに、ツイッターの#この時点で気づくべきでしたってタグが目に入り、色んな事例が流れて消えていった。それを見ながらさて、どの時点で気づくべきだったのかと考えた。自分が安倍のことを権力握らせちゃいけないタイプと思ったのは、メディアの露出が増えた2004年くらいからだったので、割と早いほうだったんじゃないかという気がする(それだけに二次政権発足したときの世の中の、というかまわりの人間との認識ギャップに苦しんだし、友達も減った)のだけど、上記のような支持勢力の考えというところは、理解が雑で全方位的差別思想を武器に「戦前回帰」とか「家柄による階級固定」を目標にしていると認識していた。見えているものをそのままに取ればこうなるからだ。ところが、「健常な男性異性愛者以外は二級市民という社会の維持」を目標にしていると考えると、気づくべきだった時点はもしかすると、2001年の番組改編だったんじゃないか? と思い至った。それでこの件を取り上げた本書を読んでみることにした。

 感想としては直感大当たりという感じであった。本書では、十数年後に話題になる日本会議の名前がすでに出ていたのをはじめ、第二次安倍政権下で繰り返された話のプロトタイプのような展開が描かれている。偏向の言葉でNHKを萎縮させつつ、内部の子飼いにデマを飛ばさせて組織内の反発を起こしにくくさせ、介入の存在は隠蔽する。屈服を潔しとしない人は孤立無援に陥る。2010年代に繰り返された光景がすでに展開していた。

 特に印象的だったのは168ページに引用されている松尾武元総局長の言葉だ。

先生はなかなか頭がいい。抽象的な言い方で人を攻めてきて、いやな奴だなあと思った要素があった。ストレートに言わない要素が一方であった。「勘ぐれ、お前」みたいな言い方をした部分もある。

 「先生」というのは安倍のことだ。「勘ぐれ、お前」は、安倍の発想のコア・エッセンスだろう。この恫喝により、NHKはちゃんと安倍の意向を「勘ぐり」番組内容を改変、識者のコメントに至っては話した内容の順番まで入れ替え発話時とまったく違うものに仕立て直して、その識者の信用を毀損する事態になってしまう。これも2010年代のプロトタイプっぽい。

 そして、放送後、VAWW-NET(女性国際戦犯法廷の主催団体)が起こした裁判でも、2010年代のプロトタイプが記録されている。高裁の判決文にそれは出ていた。

本件番組に対して、番組放送前であるにもかかわらず、右翼団体等から抗議等多方面からの関心が寄せられて一審被告NHKとしては敏感になっていたこと、折しも一審被告NHKの予算につき国会での承認を得るために各方面への説明を必要とする時期と重なり、一審被告NHKの予算担当者及び幹部は神経を尖らしていたところ、本件番組が予算編成等に影響を与えることがないようにしたいとの思惑から、説明のために松尾を野島が国会議員等との接触を図り、その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされたというものであり、この時期や発言内容に照らすと、松尾と野島が相手方の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、その結果、そのような形へすべく本件番組について直接指示、修正を繰り返して改変が行われたものと認められる。 215ページ 太字は引用者

  2010年代日本政治有数の流行語「忖度」が出てきていたのだ。安倍まわりで使われた「忖度」の用例としては最古かもしれない、これ。さらに思わず笑ってしまったのが222ページの記述だ。

このとき東京高裁が使った「忖度」という言葉は、その後NHKの番組製作の現場では、流行語のようになりました。

 時代先取り過ぎ。この本は2014年に出版されたものなので、当然著者は数年後に「忖度」が人口に膾炙することなど知らなかったわけで、あのときどんな気分だったんだろうと思った。ちなみにこの箇所はさらにこう続く。

そんたく。岩波国語辞典では「他人の気持ちを推し量ること」とあります。つまり、NHKの幹部たちは、政治家の「公正・中立」という言葉を額面通りに受け止めたのではなく、その言外にある、もっと強烈な意味を推し量って、それにもとづいて、編集を繰り返したというわけです。松尾さんは、安倍晋三氏から、「勘ぐれ、お前」と言われたと語ったとされています。この言葉は、のちに安倍氏は否定していますが、勘ぐれというのは、まさに忖度という言葉と、表裏の関係にあります。
 しかし、どうなのでしょうか。たしかにNHK自身の自己検閲は情けないことではあります。しかし、NHKだけを責めることは、少し酷な気もしてきます。具体的な指示はなかったとしても、あきらかに脅しをかけられたことが、推察されるからです。

 この解説、森友問題発覚後にそのまま使えると思わん? ウィキペディアの項目には記述されていないのだけども、東京高裁はNHKの不法行為を認定した。NHKは上告し、同時にメディア戦略も活発に繰り広げ、メディアの多くがそれに同調し、保守的だと評判だった判事が原告の訴えを退けて裁判は2008年に結審した。BPOが意見書を出したがNHKは無視を決め込んだ。

 全体にあまりにも既視感(同じ方程式使ってる感じ)があってくらくらするくだりが多かった。2010年代の醜悪な政治状況は、2001年の1月には予告されていたようにも思った。というよりむしろ、このときにあんまり上手くいったんでメディアは制御できると安倍は学んじゃったんだろうな。その結果、今に至るまでこの事件の変奏を散々見せつけられることになった。安倍の権力が増すに従って、発生場所は広がり、影響の大きさは甚大になって、自殺者まで出ることになったが、方程式はこのときに完成したものが繰り返し利用されているように思われる。驚くべきことには、安倍本人が撃たれるって事件が起きてからも、システムが自動的に動いているように見えることだ。もはやコントローラーは存在せず慣性だけが働いているのかもしれない。そういう意味で、2001年1月のこの出来事は今に至る方向を決定づける画期的な出来事だったんだろう。

 正直に言えば、この本は話の流れが掴みにくいし、プロデューサーだった著者の言い訳にしか読めないところもある。出来事に対するスタンスが変化する段階もよくわからず、所属が変わったのが理由? とゲスの勘ぐりを入れたくなりもする(おそらく原因は著者の表現能力にあって所属云々ではないんだけども)。けれども、この時代がどこでどうやって発生したのかを伝えている点で、この本はとても貴重な記録を提供してくれている。そして、この本がいつまで生きているかはわからないけれども、この時代が終わるまでは読む価値を持ち続けるんだろうとも思う。安倍はトランプに「私は朝日に勝った」とほざいたらしいけれど、NHKに勝ったことのほうがよほど大きな勝利だった(逆に言えば、ここで語られるNHKの屈服だか敗北だかは、番組一本の話でも放送局一つの話でもない深刻な敗北だった)といってよさそうだ。納得しつつも憂鬱。