2019年6月5日水曜日

宮内悠介 『偶然の聖地』





小説という、旅に出る。
国、ジェンダー、SNS――ボーダーなき時代に、鬼才・宮内悠介が届ける世界地図。本文に300を超える「註」がついた、最新長編小説。
秋のあとに訪れる短い春、旅春。それは、時空がかかる病である――。人間ではなく世界の不具合を治す“世界医”。密室で発見されたミイラ化遺体。カトマンズの日本食店のカツ丼の味。宇宙エレベーターを奏でる巨人。世界一つまらない街はどこか・・・・・・。オーディオ・コメンタリーのように親密な325個の注釈にガイドされながら楽しく巡る、宮内版“すばらしい世界旅行”。“偶然の旅行者”たちはイシュクト山を目指す。合い言葉は、「迷ったら右」!――大森望(書評家)
この小説を体感していると、混沌と秩序って、向こう岸にあるのではなく、隣にあるのではないかと思えてくる。生きる上で生じたバグに体を浸し、誰かと誰かのハブになる。バグとハブもまた、隣にあるのではないか。1ページごとに困惑がやってくる。困惑がやがて快楽に変わる。困惑と快楽、これもまた隣にある。一体どういうことだろう。――武田砂鉄(ライター)
直木賞候補3回、芥川賞候補2回の著者による現時点での最新作。
「百とも千とも言われる登山者たちを遭難死させてきた」「神の検索すら斥ける」「上空を飛ぶ衛星すら落とす」「登攀中の登山者に意識変容を起こす」などなどの物騒な形容がつく山イシュクト。語り手の怜威(レイ)の祖父朗朝(あきら)はそのイシュクトに入ったのを最後に消息を絶ち、えっらい時間が経ってから、そこで子をなしたという情報が飛び込んできて、レイはその話が本当かどうかを確かめるべくイシュクトを目指す……のだが、なかなか旅は始まらず、以前イシュクトに入ったというティトの思い出話、時空がかかる病旅春と世界医の紹介などが語られるうち70ページ近く進み、やっと旅が始まったと思えば、なんとレイが出発したあとの部屋からミイラ化した死体が出現して警察が出張ってきたりでなかなか前に進まない(が、死体を発見したレイの父親の行動は「ああ、なるほど、たしかに」と思うような軽快な新しさとでも言うものがあって、この脱線も楽しかった)。で、筋がなかなか進まないうえに、本書には300を超える註がついていて、それもまた前進を阻む。註と言っても普通の本の註とはちょっと違う。たとえばp.8「ドラゴンと呼ばれる零下一七〇度の寒気団」に付された註(本書最初の註でもある)はこんな感じ。

【ドラゴンと呼ばれる零下一七〇度の寒気団】 この素晴らしく心惹かれる現象は、しかしながら、知る限り登山漫画の『K』(谷口ジロー画・遠崎史朗作)にしか見ることができない。ぼくはこの存在をかたくなに信じているので、本作註にドラゴンは実在する。
もう一個、例示。ブリジット・バルドーに線が引かれてて註はこんな感じ。

【ブリジット・バルドー】女優。魔夜峰央『パタリロ!』に「B・Bは?」「ブリジット・バルドー」「M・Mは?」「マリリン・モンロー」「魔夜峰央です」というネタがあった。
雰囲気を掴んでもらえただろうか。前者はリアリティーを補完しないための註だし、後者はブリジット・バルドーの情報をほとんど増やさない。ほかにも死体登場で現場にやってきた刑事のルディガーが前後左右に手を動かして空にマインドマップを描いている描写の註に至っては、

【前後左右に図形を描いている】浦沢直樹『MONSTER』に出てくるあの名前を忘れた刑事さんの癖から。あれは確かコンピュータのタイピングであったか。
である。註のせいで自分もあの刑事の名前を忘れていることに気づいて悶々とし「助けてグリマーさん」とか思って、しばし『MONSTER』世界を彷徨うことになった(なお刑事の名前はルンゲである)。と、こんな感じに本書の註のほとんどは脱線への誘いと呼んでも間違ってはいないテイストを持っている。ストーリーテリングも註もが脱線しろー脱線しろーと言っているのだから、先へ先へと行くような読み方もできようはずがなく、文中に「モロッコ」と出てくれば『カサブランカ』の冒頭なんかを思い出して、脳内で「君の瞳に乾杯」の場面を再生したり、「定量的に」「定量的にだ」という会話を見ては村上春樹の小説に思いを馳せたり、注釈入れるために本文上下が詰まったレイアウトになっていて、「なんか書け」って言われているような気がしてきて、つい書き込みとかしちゃったり(これは註172で「旅人ノート」なるアイテムが紹介されているところから、「この本を旅人ノート化しろって指示が出ている」と思い込んだせいもある)と、小説読んでるんだか、これをきっかけに記憶の棚卸しをしているんだかわからないような珍しい読書体験(当然進まないので長旅になる)ができた。註を使った小説と言えば、思いつくのは『青白い炎』(amazon)なんだけど、あれは註から物語を浮かびあがらせるのを狙っているのに対して、本書の註はDVD(ブルーレイでもいい)ソフトのコメンタリー機能みたいなものになっていて、そのせいで『Sherlock』の第三話(だったと思う)で、結構緊迫した場面に流れたコメント「なんで携帯つながるの?」とかも思い出した。いや、そんな感じの註がたくさんあってだね。紙はもちろん、電書も固定レイアウトなので、この註の「オン/オフ」が選べないところが残念と言えば残念かもしれない。とはいえ、これくらい裏側を見せてくれると、取っつきやすさはあがるとも思った。難しげな単語に「書いてみたかっただけ」とか註が入っていれば、気にせず進めるし。

ほかの読者が読みながら余白に書き込み入れまくって出来上がったその人だけの『偶然の聖地』とか読んでみたい。註の話に終始したのは脱線への誘いが多々盛り込まれていながら、しっかりエンタメの構造があって、おおってところもあって、そこをネタバレさせたくなかったからで(とりあえず世界をデバッグする話だった、くらいのことは言ってもいいだろうか。)、ストーリーがどう進んでいくのかは自分で読んで確かめてもらいたい。結構な傑作だと思うが、たとえばこれが候補作になるなら、芥川賞と直木賞のどっち? などと考えると結構悩む。そういうあんまり類書のない=新しいもの好きのほうがより楽しめるだろうなあ。


偶然の聖地

追記:書き忘れてたんだけど、この本で一番遊んでる箇所は「25. ラーワルピンディ特別区」だと思う。この章の註は、まったく線部の説明を果たしてなく、かつ辞書の語釈っぽいもので統一されている。しれっと註がバグっているのである。ここまでやるかと笑ったのだった。

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