2019年3月22日金曜日

安田浩一 倉橋耕平 『歪む社会』


『歴史修正主義とサブカルチャー』(感想)が結構面白かった倉橋耕平と『ネットと愛国』(amazon)の著者の安田浩一の対談本。倉橋耕平執筆の「はじめに」にはこうある。

本書は、ジャーナリストの安田浩一さんと倉橋が、現代日本の「右派現象」をめぐって、お互いの視角から検証することを目的として、時間を共有した記録である。二〇一八年に私は『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社)を、安田さんは『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書)を上梓した。幸せなことに両著作とも多くの人の手にとってもらえた。
拙著では、一九九〇年代以降に右派論壇で展開される歴史修正主義が、(歴史学を扱う学術出版ではなく)商業出版、サブカルチャー、メディア文化を通して拡散したことを検討した。他方、安田さんの著作は、足を使って右翼の生き証人への取材を元に、右翼の歩みを検討したものだった。
そうした、本を書くための検討方法が異なる二人が、それぞれ研究者とジャーナリストという立場から現代社会における右派について対話したときに見えてくるものは何か、というのがこの本の趣旨である。
これがコンパクトな内容紹介になっていると思うので、この段階で興味を覚えた方は感想なんか読んでないで上のリンクからアマゾン飛んで自分で読んだ方がいい。このあとの駄文は内容まとめるとかよりも、印象に残った部分を抜き書きしたり、そっからの連想書いたりの文章なので、たぶん最後まで読んでもこれがどんな本なのかよくわからないと思う。とりあえず、もうちょっと書いてあることを把握したい人向けに目次も引いておく。

  • はじめに 倉橋耕平
  • 第一章 ネット右翼は思想か? それともファッションか?
    「余命三年時事日記」による弁護士懲戒請求とは何だったのか
    ネット右翼とオンライン排外主義
    隊服からスーツへ
    極右とネット右翼の違いとは
    在特会とセックスピストルズ
  • 第二章 時代によって変化する保守言説
    保守とは何か
    内輪話の保守言説を表舞台に出した小林よしのり
    時代によって変化する保守言説の「最先端」
    右翼の言葉が移ろっていく
    棚上げされていた歴史認識問題が焦点化する
    日本社会は右傾化しているのか
  • 第三章 歴史認識、ヘイトスピーチ、そして差別
    九〇年代の「慰安婦」問題
    IT系とネット右翼の関係性
    自分で選び、自分で発信したものは「正しい」のか
    歴史修正主義の本を書いた理由
    取材したくてネット右翼を取材したことはない
    ヘイトスピーチの被害者への気づきが遅れた理由
    沈黙を強いることの罪
    物言う弱者に対する排除や差別
  • 第四章 国会議員によるバックラッシュが始まる
    国会議員によるヘイト発言
    あぶり出されるマイノリティ
    「杉田さんは素晴らしい!」
    自民党はなぜヘイト発言を容認するのか
    二〇〇〇年代とバックラッシュ
    「慰安婦」問題はむずかしい
    右派の分析に重要な年としての一九九七年
    酒場左翼とは
  • 第五章 歴史修正主義とメディアの共存
    朝日新聞を叩くことの意味
    保守系総合誌の変容
    マルコポーロ事件の衝撃
    「つくる」会を甘く見ていた雑誌記者たち
    歴史修正主義のテンプレート
    自己責任と排除
    リンクするネット右翼と新自由主義
  • 第六章 リベラルはなぜ右派に対抗できてこなかったのか
    歴史修正主義の事例研究
    逆張りは気持ちいい!?
    本質がスポイルされていく
    教育が攻撃される時代
    日教組はいまも活動しているのか?
    「つくる会」を冷笑する態度は学者としてどうなのか
    九〇年代サブカルチャーとポストモダン
    ムック、オカルト、そして政治へ
    右派の粗製濫造に左派がついていけない
    不買運動はありなのか
  • 第七章 差別はネットとともに進化する
    保守、右翼、ネット右翼
    「雑なネトウヨ」とは
    ネットの変質について
    「新たな真実」とネットで出会う
    フィルターバブルとネット右翼
  • 第八章 企業のネット右翼化を考える
    歴史修正主義と排外主義のつながり
    ネット右翼的な企業について
    拡張する「ネトウヨビジネス」
    ネット右翼的な出版社について
    「良書を出しているからヘイト本を出してもいい」の論理
    情報が欠乏した部分に入り込む「気づき」と「発見」
  • 第九章 リベラルは右派にどう抗っていけばよいのか
    歴史修正主義と日本の政治
    右派のエポックとしての一九九七年
    自民党のメディア戦略とネット右翼
    リベラル派与党議員の「いまは官邸に抗えない」という声
    「そこまで言って委員会」を考える
    「本音トーク」と「ぶっちゃけ」の危うさ
    歴史を否定する人びとにどう抗っていくか
  • おわりに 安田浩一

あら? 長い。全体250ページ程度なんだけど、結構小見出しが多かったんだな。大丈夫。そんなに厚くないから。自由連想始めるまえにもう一回リンク貼っておくね。


で、こっからはまとまりなく思ったことなど。
まず、すっげえ頷いた箇所がこちら。
安田 僕の周囲の、仕事仲間や取材先とは関係のない在日コリアンの友人は、その多くが運動圏外の人です。デモにカウンターとして参加しているわけではありません。彼らは、ネット右翼の話をしても、沈黙している。その話を振られること自体を嫌がる。会話がつづかないから、僕もネット右翼の話を避けるようになる。当然のことだと思います。
当事者だからこそ、被害を語るべきだというのはマジョリティの傲慢です。ヘイトスピーチの最大の害悪は、被差別当事者に沈黙を強いることだと僕は思っています。黙らせる、あるいは表現や言葉を奪いとる。友人たちが沈黙しているのは、巻き込まれたくないからです。巻き込まれて嫌な思いをしたくない。傷つきたくない。絶望したくない。そして言葉を奪われたくない。自由な表現を失いたくない。そう思っているからです。
リベラル陣営の一部からも「ヘイトスピーチも表現のひとつ」だとして、ときに容認論のようなものが飛びだしますが、冗談じゃない。マイノリティの表現が奪われているのに、自由も何もあったもんじゃない。pp.76-77
自分は90年代に筒井康隆の件通じて「表現の自由、大事!」ってテーゼを刷り込まれた人間だったもんだから、ヘイトスピーチを保護されるべき表現でないとする論理を当初うまく飲み込めなかった(つまり、表現かそうでないかを恣意的に選別していいの? って疑問をうまいことクリアーにできなかった)のだけど、被害者の表現の自由を奪っているという点に気がついたら、これが保護されるべき表現でないということがすんなりと納得できた(なんの制約もない状態であれば、権力の強さと言ったりやったりしたりして咎められないレベルは比例する。そうである以上、「表現の自由」という概念は権力のないほうの表現を保証するためにあるわけで、権力のないほう=マイノリティに沈黙を強いるような言動は、存在自体が表現の自由に喧嘩を売っていると考えられる。表現の自由という概念を脅かす存在であるがゆえに、ヘイトスピーチは保護されるべき表現にはならないと考えた)経験があったので、安田のこの発言はまったくもってそのとおりだと頷けた。
こんなやり取りも印象に残った。

(安田)差別者は「格下」と勝手に見なした他者に対しては、権利を付与し、獲得させなくてはいけないと思っていた。ところが、「格下」だと勝手に判断した人が、言葉や権利を手にし、主張しだしたとたんに、「いや、お前そこまでは与えていないだろう」というかたちでバックラッシュが起きていくというのが、一連の流れじゃないかなという気がしてます。身勝手であり、傲慢な屁理屈です。
倉橋 そうした傾向は、世界的なものだと思います。特に女性に対するバックラッシュが。  pp.86-87
まんま田山花袋の『蒲団』(感想)であると思ったのだった。今リンク貼るためにエントリー呼び出したからざざっと流し読みしてみたら、当時(14年前)のおれは「現代から見るとほぼ理解不能」と書いていた。「自分には」と書いておけばよかった。「現代」はそんなに「現代」じゃないと気づいたのはもっと最近のことである。
あと、174ページで安田が「保守を掲げながら街頭でデモをすることなど、考えられません」と言っているのは、ちょっと盲点を突かれた思いがした。なぜかというと、

なぜか。保守は、かまえて待たなければならないからです。歴史や時間に身を任せるのに、変革を求めて主体的に活動することなど、本来ならありえません。  
とのこと。マイペディアの解説には、

現状の大幅な変革を望まない主義。英語でconservatismなど。なんらかのイデオロギーや原理に基づくよりも,日常的利益や生活を維持しようという精神や態度に根ざす。英国の政治思想家バークのいうように〈保守するために改良する〉のを拒まないのが常であり,現状を固定的に維持してそれを伝統や民族の名によってイデオロギー化するときは反動主義に近くなる。
とあるので、安田の理解もそんなに外れていないと思われる。まあ現代の自称保守は保守か革新かとか右か左かとかじゃない気がしていて、倉橋が245ページで「彼らの考えをむずかしい理論で分析したり、新しい知見や現象として学術的概念を与えてしまうことは、彼らを格上げしてしまうことにほかならない」って言ってるのが当たっているように思うんだけどね。新しい概念どころか既成の思想・政治の用語を当てはめる必要もないんじゃないなかろうか。(そうなると指示する言葉がなくなって困るから本書でも右と左、保守とリベラルみたいな構図を用いて喋ってるんだけど、やっぱり違和感があるんだよね。変にフラットな相対位置を与えていることが)これは右・保守って言葉に対してだけじゃなくてリベラルとか左派とかって言葉にも感じることでさ、差別で遊んでるアホが保守やら右よりやらを自称するなら、それを批判するのは左派・リベラルだろうみたいな前提ができちゃってるように見える(本書だけじゃなくてネットの人たちの発言見ててもそう)んだけど、「差別はいけない」って考える人たちってだけが構成資格だったら、そのカテゴライズの名称は左派でもリベラルでもなくて「最低限のまともさを持つ人」とかだろって思うんだよね。で、思想的カテゴリってのは、そんなラインを軽くクリアした上での考えの違いを区分するためにあるんじゃないのかなあと思うわけ。まあ、正確な用語を検討するよりも共有しやすい単語を選ぶっていう理屈もわかりはするんだけど。

あと、もう一点、資料として勧めたいのが205ページの「ネット右翼系の本を出している出版社リスト」。リスト掲載の基準は、「歴史修正主義的なものを刊行していたり『やばい●●』というような特定の人や国をおとしめたり差別するヘイト本を刊行しているところ、あと『ニッポン、すごい!』という論調の本を刊行している出版社」だそうで、そのリストの長さに暗鬱とした気持ちになりつつ、今後本買うときの出版社チェックに使おうと思った。ただ、これ曾野綾子を一生懸命出してるところとか抜けているんで、もうちょっと掲載者数を増やす必要がありそう。そうそうそれで思い出したけど、新潮45が休刊になるまえに、杉田水脈衆議院議員の発言に抗議する 出版社代表82社の共同声明ってのが出されていた。このリストに名を連ねているところはネトウヨ本については安全なんじゃないかと思われる。どうせならこっちのリストに名を連ねている出版社の本が買いたいが、大抵の場合読みたいと思うかどうかは作家名が決めるので、おれの好きな著作者のみなさまが仕事先を選んで下さることを祈るばかりである。いい加減長くなってきたからこれくらいにしておこうかな。


歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う

関連書籍


2019年3月21日木曜日

ヒロシ 『ヒロシの自虐的幸福論』



本屋で存在を知り即買いした。『ヒロシです。』(感想)『ヒロシです。2』(感想)『ヒロシです。華も嵐ものり越えて』(amazon)は読んでいるし、『まいにち、ネガティブ』(amazon)っていう日めくりカレンダーも持っている。ちょっと前の話だけど、織田信成がヒロシ好きでヒロシの真似して、さらに本人とコラボみたいな番組やってたことがあって、それ見てちょっと織田信成の好感度があがったりもした。その程度(つまり積極的に情報を追いかけちゃいないが目に入ったときは無視しない程度)には好きなので、躊躇なしというか後先考えずに買った。

ネタっぽい短文が右側ページでそれに関連した短いエッセイ見たいのが左に載っている構成。「6 大人が子どもにしたことは、大人は覚えていない。」ってやつが、構成に意外性があってよかった。「3章 働くのがいやな人へ」は一発屋芸人のレッテルを貼られるとどんな扱いを受けるのかってことが書いてあって将来的には割と貴重な資料になるかも知れないとか思った。一発屋認識されたあとでその内実を本にできるポジションの人はあんまりいないもんね。

全体に色んな決めつけ(成功するならこうしなきゃ駄目だとか)に小さな声で異議申し立て(そんなふうにしなかったけど、おれはどうにかやっているぞ)を行っている感じで、幹の部分は好感を持って読めた。枝葉のところで、そういうノリは00年代で終わりにしておこうよって思う記述が散見されたのであんまり人には勧めないと思う。でも点けたテレビにヒロシ出てたらなんとなくこれからも見ちゃうだろうなあ。経営者、ユーチューバーなんかの肩書きもついたみたいだし、マイペースで長く活動していってほしい。



ヒロシの自虐的幸福論 (だいわ文庫)

2019年3月20日水曜日

安西徹雄 『英語の発想』


 どういう経路だったかはもはや思い出せないのだけど、アマゾンのレビューを見て読んでみようかなと思った。だいぶ昔に同じ著者の『英文翻訳術』(amazon)は読んでいて、それで江川泰一郎の『英文法解説』(amazon)にも手を出したんだったのを思い出したり(で、今リンク貼ろうとして価格の安さに驚いた。あの本、本体価格1700円だったの? コスパやばかったな)

 そんな前史もあって、レビュー見てもだいたい言ってそうなことは予想できるなあと思ったんだけど、まあ復習みたいな気分で読んだ。とてつもなく下手に訳された「直訳」文を叩き台にして「意訳」文作っていくやり方とか、懐かしいっていうか、昔読んだときより、「直訳」のわざとらしさがキツくて笑ったというか。別宮貞徳とか柳瀬尚紀とかと違って市販品に牙を剥かずに主張を展開しようとしたんだなって感じられた。それにしてもこの「直訳」は冗談だろう。「直訳」に関しては全編冗談に見えたから例は引かないけど、構文完璧に取れた上で選択する訳語が辞書に書いてあるもののつぎはぎになるような訳者、現実にはいないと思うんだよね。
 で、そういうフィクショナルな訳例を持ち出して主張されるのが、「英語はどうも名詞中心であるのにたいして、日本語は動詞中心なのではないか」ということで、書かれたのは約二十年まえなので、今読んで目新しい感じはしない。具体的な文でこの前提をどう訳文に落とし込むかってところの技術はさすがなところが多かったけど。
 で、無生物主語とか関係詞とか話法なんかをトピックにして英語と日本語の発想の違いってのが検討される。当時出ていた(し、今も手に入るものが多そう)な文献を引いたりして論を進めていく。のだけど、引いた論に異論を挟むこともあって、参考文献との距離の取り方が、なにげに言語論の内容よりも参考になったりした。それどころか、最初に上のような主張を掲げて始まったのに、ラストのほうになったら、こんなことまで言い出すところとか最高だった。

以上、牧野氏の枠組みを借りて、これまでこの章で見てきたことを整理、確認してみたわけだが、こうしてみると、日本語の受身と英語の受動態とは、部分的に少しずつズレはあるものの、基本的にはむしろ、おたがい共通し、重なりあう面のほうが大きいことが明らかになってきたようである。
 しかし、だとすると、先ほども触れたとおり、基本的な軌道修正の必要がやはりありそうに思えてくる。つまり今まで本書では、もっぱら日本語と英語の表現・発想の対立面ばかり強調する傾向があったけれども、実はそれと同時に、共通性、連続面にも注目しなければならないのではないかという疑問である。
これは日本語の受身は被害のニュアンスが出るから受動態を能動で訳そうみたいな話をしていくうちに、あれ、英語にも被害のニュアンスのある受動態あるねってなっての文なんだけど、最初からひっくり返すつもり(たとえば原稿依頼の内容が「日本語の特殊性を強調するような内容に」でそれが気に入らず、受けるだけ受けてここでひっくり返すのを計画していたとか)だったのか、ほんとにハプニングだったのかは不明だけど、こんなにちゃぶ台返すのかと愉快な気持ちになった。しかも話は受身だけに留まらない。英語は時制がきっちりしていて日本語は曖昧でって話を出していたのも、川端の英訳に「同じように過去の描写に現在形を混用し、劇的に臨場感を高める技法はけっしてめずらしいものではない。これが『劇的現在』だが、してみると時制についてみてもまた、日本語と英語のあいだには、対照と同時に連続、共通の面もあるわけだ。」と自説の修正を行う。さらには、使役表現でも似たような修正が入り、怒濤の展開になる。ちょっと長いけど引用する。

そういえば、第三章で使役表現を考えた時にもやはり、実は似たような現象を見たことが思い出される。あの時、われわれは池上教授の図式を借りて、〈使役主〉と〈被使役者〉とのあいだの力関係を、「次郎ヲ行カセタ」から「次郎ニ行カレタ」まで、一種のスペクトルの形で整理した。そして、日本語はこのスペクトルのあらゆる面に表現が分布しているのにたいして、英語の使役表現は歴史的に、〈使役主〉の力が最大になる方向に集中してきたことを観察した。
 だがあの時われわれの見たことは、今、受身について見たことと、結局同じ意味をもっていることが理解できるのではあるまいか。つまり使役にしろ受身にしろ、日本語の表現・発想と英語の表現・発想とは、おたがいにまったく対立するものでも、非連続の関係にあるものでもなく、むしろ、いわば表現の同じスケール(目もり)ないしはスペクトルのうち、日本語はどちら側に片よるか、英語はどのあたりに集中するか、要するに、その度合い、偏差のちがいと理解すべきではないかということである。
 いや、それをいうなら、実は、英語は〈もの〉に注目し、〈もの〉の〈もの〉への「働きかけ」という、動作主性の軸に沿って概念化し、言語化するのにたいして、日本語は状況を〈こと〉としてまるごとすくい取る――つまり非・概念的な状況論理的性格を特徴とするという、本書全体の基本的な命題についてさえ、われわれ自身、これがかならずしも相互に相容れない対立の関係にあるのではなく、むしろ連続の面において捉えるべき関係にあるということは、すでに認めたことがあったのである。
今写してて思ったんだけど、こりゃ最初から計画してのちゃぶ台返しだね。というのは、このあと第二章の終わりのほうが引用されてるんだけど、そこですでに、

どうやら〈もの〉的なとらえ方と〈こと〉的な発想というのは、おたがいにまったく異質の、相対立する関係にあるよいうよりは、むしろ、ある出来事なり情況なりを言語化する歳、どの程度抽象化し、概念化するかという、その度合いのちがいによって出てくる差なのではないかと思えてくる。つまり、いっぽうは〈もの〉に注目して〈こと〉を捨て、他方は逆に〈こと〉を取って〈もの〉は顧みないというのではなく、むしろ、〈こと〉をある方向へ概念化し、抽象化し、ないしは分節化してゆくと、〈もの〉と〈もの〉との関係として〈こと〉を捉える捉え方に到達するということなのではないだろうか。
と書いてあった。むしろここに説得力を持たせるためにあいだの長ーいページがあったんじゃないかという気さえする。というのも、二章のこの部分を最初に見たときにはそのあとすぐ日本語の感覚性(大野晋)に話が飛ぶんで、引っかからずに流しちゃうんだよね。ミステリーの伏線みたいだ。最後のびっくりのために一個仕込んで空惚けてみせたんだよなあ、これも。で、〈もの〉と〈こと〉の対立ってのは、聞いた覚えがある気がする(ここで引用されている池上教授の本を何冊か読んだからなんだけど、ほかでもよく耳にしたような)。著者は実感として「そうとは限らねえよ」って思っていたのかもしれないし、そういう日本語特殊論につながりそうな主張に危険性を感じていたのかもしれない。このエントリーを書き出してから、そんな伏線はなかったかとパラパラ見直してみたところ、案の定あった。はしがきに。

最近「対照言語学」という学問の分野がしきりと注目を集めているようだ。例えば日本語と英語とを比較対照して、個々の単語や語句の意味構造はもちろん、慣用句や文法、表現の基本的なパターンや発想のちがいまで探り出し、ひいてはそれぞれの国民のものの感じ方、考え方の根本的な性格にまで迫ろうとする研究である。
 ある面からすれば、これはいわゆる比較文化論の一種と見ることができるかもしれない。具体的な言葉の対比を手がかりに、結局は文化全体の比較にまで進もうとするわけである。もしも言葉というものが、よくいわれるとおり、われわれのものの感じ方、認識のパターンそのものまで深く限定するものであるなら、あくまで言語の対比を通じて文化の比較に至ろうとするこの方法は、比較文化論のアプローチとして、大きな可能性をはらんだ方法といえるかもしれない。  p.11~12
最後の「もしも言葉というのもが~かもしれない」の部分。これが「筆者は必ずしもそう思ってない」って伏線だったんじゃなかろうか。いや、次の段落で「本書の狙いとしているのも、実は、何かしらこうしたアプローチから、日本語の発想、英語の発想を具体的に対比してみようという点にある」って書いてあるから、初読時にはこの「もしも~かもしれない」はあんまり意味のない飾りだろうって思ったんだけど、次に引用するラストと付き合わせると容貌がだいぶ変わると思うんだ。ラストの引用行くね。

確かに今まで本書では、対照言語学的に、日本語と英語の表現・発想のちがいを浮かび上がらせるというそもそもの狙いからして、その差がいちばん鮮明に現れる面だけに特に注目し、もっぱらその相違のありか、その性質を明らかにすることを試みてきた。そして実際、このギャップを乗り越えるには、往々にしてかなり基本的な発想の転換が必要であるからこそ、いっぽうではまた翻訳読本としてという、本書のもう一つの狙いにも、それなりの意味がありえたのである。
 けれども最後に、やはりこれだけは言っておかねばならない。どれほど異質であろうとも、日本語も英語も、しょせんは人間の言葉である。まったく非連続であるはずはない。相違と同時に共通の面も実は大いにあることを忘れては、全体についての判断のバランスを失い、木を見て森を見ないどころか、下手をすれば、妙にゆがんだ言語学的国粋主義に陥る危険さえなくはない。いや、それより何より、もしかりに、日本語と英語が完全に非連続であるのなら、そもそも比較対照するということ自体が無意味だろうし、第一、はじめから翻訳などという操作すら不可能なはずではないか。われわれが今まで追及してきた対比というのも、実は、この基本的な連続という大前提の上に立って、はじめて意味をもつことだったのである。最後に、この巨視的な大前提を再確認して、本書を閉じたい。
巻末データ見ると、これの親本は八三年に出たものだ。当時の英語産業どんなだったかなんて想像もつかないわけだけど、著者上智の教授だった人なんだよね。となると、渡部昇一と職場が同じだったわけで……なんてことに想像が広がっていくのをどうすることもできない。
 ぼんやり読んでたもんだから、ちゃぶ台返しが面白えくらいの感想だったんだ、実は。だけどあちこち引いてるうちに、もしかしてこれってば、時代状況に釘を刺そうとした結構反骨心溢れる本だったんじゃないの? って認識が改まったし、おそらくはそっちが正解(じゃなきゃ、あんな早い段階からひっくり返すためのネタを仕込むはずがない)。エントリ書き終わった今になっていい本読んだなあって気分になっている。こんなこともあるんだね。
(しかし今になって不思議なのはアマゾンのレビュー書いてる人たちで、みなさんもしかして、上に引用したラストの部分、読んでないんじゃないか?)


英語の発想 (ちくま学芸文庫)

2019年3月19日火曜日

柴田宵曲 『俳諧随筆蕉門の人々 』


タイトルどおりの本で、蕉門の人びとの作品を取りあげて、それぞれの個性を描出する感じ。取りあげられているのは、其角、嵐雪、惟然、凡兆、去来、丈艸(字、表示されるかなあ)、史邦、木導、一笑。

著者の名前で開いた本なので、当然というべきか、どんな人とわかっていた人物はゼロである。其角だけ名前を聞いたことがあるかもってレベルで、丈艸は芥川が褒めていたらしいのだが、ちくまの文庫全集読んでるのにまったく記憶になかった。収録されていなかったのか忘れたのか。

で、なーんも知らない人間が300ページ以上も読めちゃったのは、例によって文章が静かで心地良いからってのもあるんだけど、各章の始まりがちゃんとフックとして機能していたってこともあった。試みに各章の冒頭を引いてみよう。

其角
蕪村(ぶそん)の『新華摘(しんはなつみ)』の中に「其角(きかく)は俳中の李青蓮(りせいれん)と呼れたるもの也」ということがある。こういう比喩的(ひゆてき)な言葉は、往々にして誤解を生じやすい。気の早い読者は「俳中」という肩書を離れて、直(ただち)に李白(りはく)と其角との比較を試みるからである。 p.9

嵐雪
蕉門の高弟を談ずる者は、何人も先ず其角(きかく)、嵐雪(らんせつ)に指を屈する。後世の評価がそうなっているばかりではない。当時の相場もやはり同様であったらしい模様である。だから其角を書いた以上は嵐雪を書かなければならぬというわけもないが、ついでを以て少しく観察を試みることにしたい。 p.39

惟然
多士済々(たしせいせい)たる蕉門の俳人のうち、世間に知られたという点からいえば、広瀬惟然(ひろせいぜん)の如きもその一人であろう。惟然の作品は元禄俳壇における一の異彩であるに相違ない。けれども彼はその作品によって知られるよりも、先ずその奇行によって知られた。飄々(ひょうひょう)として風に御するが如き奇行にかけては、彼は慥(たしか)に蕉門第一の人である。  p.63

凡兆
凡兆(ぼんちょう)について記(しる)すのは容易ではない、というよりもむしろ改めて記すだけの材料がないといった方がいいかも知れぬ。中途で俳壇から消え去った凡兆の一生は、依然として不明である上に、凡兆の句については明治以来定評と目すべきものがあって、必ずしも異を立てるほどの余地を発見し得ぬからである。  p.98

去来
蕪村(ぶそん)が『鬼貫(おにつら)句選』の跋において其角(きかく)、嵐雪(らんせつ)、去来(きょらい)、素堂(そどう)、鬼貫を五子とし、その風韻を知らざる者には共に俳諧を語るべからずといったことは、前に嵐雪の条に記した。五子なる語はこれにはじまるのであろう。  p.139

丈艸
芥川龍之介氏が蕉門の作家の中で最も推重していたのは内藤丈艸(ないとうじょうそう)であった。  p.184

史邦
 史邦という俳人は従来どの程度に見られているか、委(くわ)しいことは知らぬが、あまり評判になっていないことだけは慥(たしか)である。史邦は「シホウ」と読まず、「フミクニ」と読むのだという。しかし「史邦吟士」と称し、「史子」と呼ぶような場合にも、一々音読を避けていたかどうか。(中略)
史邦の句に多少注意し出したのは、彼の句に動物を扱ったものが多いように感ぜられたからであった。  p.236

木導
芭蕉の遺語として伝えられたものを見ると、曲翠(きょくすい)が「発句(ほつく)を取りあつめ、集作るといへる、此道の執心なるべきや」と尋ねたに対し「これ卑しき心より我上手(わがじょうず)なるをしられんと我をわすれたる名聞(みょうもん)より出る事也。集とは其風体の句々をえらび我風体と云ことをしらするまで也。我俳諧撰集の心なし」と答えている。ここに集というのは必ずしも撰集と家集とを区別していない。いやしくも「我上手なるをしられん」としての仕業である以上、撰集たると家集たるとを問わず、芭蕉はこれを「名聞より出る卑しき心」の産物として斥(しりぞ)けたのである。  p.265

一笑
 芭蕉が「奥の細道」旅行の帰途、北陸道を辿って金沢に入ったのは、七月十五日、あたかも盂蘭盆(うらぼん)の日であった。ここにおいて一笑(いっしょう)の墓を弔(とむら)い、有名な秋風の一句をとどめたことは『奥の細道』の本文に次のように出ている。
一笑と云(いう)ものは此道にすける名のほのぼの(原文「ぼの」は繰り返し記号に濁点)聞えて、世に知(しる)人も侍しに去年(こぞ)の冬早世したりとて、其(その)兄追善を催すに
     塚も動け我(わが)泣(なく)声はあきのかぜ 
p.293
冒頭で李白との比較を持ち出された其角は「危きに遊ぶ大家」とも評されていて、この段階で句の一つも提示されていないものだから、そりゃ是非とも見てみたいって気分になったし、嵐雪は前章で取りあげてる其角と絡めた紹介だからすっと本文に入っていけた。惟然と凡兆についてはいきなり人物への興味を植えつけられた感じがした。で、凡兆のあたりで去来は予告的に意固地者っぽく出てきてて、この冒頭で「なんと、そんな実力者でありましたか」ってなってやっぱり読まねばって気分に。丈艸は芥川の文にもたれる形で権威づけしてから紹介に入ったので、これまた「さようでございますか」と大人しくお話を聞いた。史邦は引用部最後のところで俄然興味が湧いた。木導はちょっと引用だけだとわかりにくいかもしれないが、そのあと蕉門の弟子連は一人も生前に自家集を上梓しなかったってエピソードが紹介されたあと、家集の序文まで書いたのに死んだあとも刊行されぬまま、最近やっと日の目を見たような作者もいる、そのうちの一人が直江木導(なおえもくどう)だったと性格描写をバーンと出してからプロフィール紹介に移る。一笑は本人じゃなくて芭蕉のエピソードから入って、早世したってことをキーに語るのがなかなか吸引力あった。

作品紹介本の価値はひとえに紹介されているものが読みたくなるかどうかだと思うのだが、本書は取り上げられた人物の句をもっと読んでみたいと何度も思わせてくれたので紹介本として優秀なのは間違いない。のだけれども、たとえば其角の『五元集』とかって、アマゾン検索しても出てこなくて、なんてこったいな気分になった(とりあえず『蕉門名家句選(amazon)』という本があるようなので、そのうち眺めてみたい)。なんとなく、宵曲読んでいると、澁澤龍彦読んでるときに近い感じを覚えることがあるんだけども、この紹介された原典に手が届かないとことかが似てるんだろうか。澁澤のふんぞり返り芸(好きです)とはまるで違う芸風なので、なんで連想するのか自分でもちょっと不思議だったりする。
 世の中には蕉門十哲という言い方があって、これが芭蕉の十大弟子ってことになっているようなんだけど、リストを見ると、本書で扱われなかった人も結構いる。どっか別の場所で扱っているのか、触らずじまいになってしまったのかも気になる。『古句を観る』(感想)読んで、これも読んだので『新編俳諧博物誌』(amazon)も、そりゃ読まねばなるまいという気分になっている。ひとえに著者の文章のゆるやかな調子のためである。なかなかいないんだよね、連続して読んでもっと読みたいってなる人。


俳諧随筆蕉門の人々 (岩波文庫 緑 106-2)

2019年3月15日金曜日

柴田宵曲 『明治の話題』


 彗星、憲法発布、園遊会、観覧車、辻占売り、アイスクリーム、烟草の広告、鐘の音、コックリさん、ゴム風船等々、百五十余に及ぶさまざまな事物、風俗、主題によって明治を語った随筆集。博覧強記にして滋味横溢。事物起原の考証から懐かしい日常風景まで、多種多様な話題をめぐって、漱石、鏡花、子規、緑雨らの文章を縦横に引き、また文化人、政治家、ジャーナリスト等の興味深い逸話を数多く収めた本書は、さながら明治文学詞華集、人物逸話集の趣もある。三谷一馬の挿画10葉を付す。
だいたいこのまとめどおりの本だった。ところどころ時代の限界を感じるような記述もあったものの、次々読んでみたいと思う本が増えていくのでいい本だったに違いなく、挿絵を除けば著作権は切れているわけだから、出典とか調べて注釈つけてKDPしたら楽しいだろうな、などという夢想も広がった。著者が子規を好んでいたのはいい加減わかってきたのだけど、本書を読むと緑雨も相当お気に入りだったようだ。読んでみたいんだけど青空文庫はまだ充実度がいまいち(でも、何冊かダウンロードしてみた)で、生きてる本も見当たらず。そのうち図書館で全集眺めてみようかなあ。
 なお『明治風物誌』(amazon)という続編もあるみたいなので、そのうち機会があったら読んでみたい。


明治の話題 (ちくま学芸文庫)

2019年3月11日月曜日

森銑三・柴田宵曲 『書物』



『古句を観る』の感想でも書いたとおり、柴田宵曲を知ったきっかけは森銑三。そのふたりの共著なので買うだけはとっくに買っていて本棚の肥やしにしていたのを勢いのままに引っ張り出して読んでみた。amazonの内容紹介はこんな。
生涯を近世の書物研究にささげた森銑三(1895―1985),柴田宵曲(1897―1966)による書物をめぐる随想集.真向から書物,読書,出版についてのモラルとでもいうべきものを説く森銑三に対し,淡々とした文章でそれらの楽しみを語る柴田宵曲と,文章は対照的であるが,どこから読んでもおもしろい1冊になっている.(解説=中村真一郎)
てっきり岩波文庫の表紙に書いてあることと同じかと思ったら、「どこから読んでもおもしろい1冊になっている」ってところは文庫表紙だと「その端ばしに「書物への愛」があふれている。」と違いがある。なんでなんだろね。
だいたいはこの紹介文のとおりかなという気がする。せっかくだから目次も掲げとく。

  • はしがき
  • 増訂版序文
  • 甲篇(森銑三)
    「書物」という書物
    書物に対する心持
    書物過多の現状
    良書とは何ぞや
    著述家
    出版業者
    書肆以外からの出版物
    出版機構の欠陥
    良書の識別
    ラジオと著述家
    良書の推薦
    書評
    書物の量
    書名
    序跋
    装丁
    木版本と写本
    流布本と珍本
    古本屋・即売会
    蒐書
    書物の離散
    書物の貸借
    贈られた書物・贈る書物△
    図書館
    児童図書
    青年図書
    辞書・参考書
    叢書・全集
    書目
    素人の手に成った書物
    見る書物○
    形の大小○
    不完全○
    著者から見た自著
    出でずにしまった書物○
    問題の書物○
    誤植○
    読んだ書物の思出
    探出した書物○
    雑誌○
    まだ見ぬ書物
    見ることを得た書物○
    手がけた書物○
    私の欲する書物
    書巻の気○
    出版記念会○
    結び――書物愛護の精神
  • 乙篇(柴田宵曲)
    書物と味覚
    辞書
    写本
    珍本
    書名
    書斎
    読む場所
    読書と発見
    書物の記憶
    貸借
    欲しい書物
    蔵書家
    愛書家○
    蒐書家気質
    二度買う場合
    自著○
    広告文
    売行
    序文
    挿画
    書物の大小
    断簡
    書物の捜索
    古本の露肆
    貸本屋
    書物を題材とした作品
    書物の詩歌○
    焼けた書物○
    書物と人間
  • 解説(中村真一郎)
書き出すと結構項目あったな。全体は330ページちょっとなので、1本ごとの短さが知れようというもの。で、柴田宵曲の文章読みたくて読み出した本書なのだが、読み終えると森銑三のパートばかりが印象に残った。いい意味ではないのだがややこしい事情も絡んできて「むむむむむ」ってなってしまった。
内容紹介にもあるように、ふたりの文章は対照的だ。柴田宵曲のほうは淡々とした筆致で、というのは『古句を観る』と同じく快適に読み進めることができた。それに対して森銑三のパートは「真っ向からこれらのテーマに切りこむ」と言えば聞こえはいいが、ことに前半は「ぼくの抱える本関連トピックへの不満とその処方箋」みたいな文章が並んでいる。「心持」とか「現状」とか「出版機構の欠陥」とかって文字面から予想できることだろうけれども、これがすっげえ退屈なクリシェだらけで、読みながら「え、この人、抜き書きとっぱらうとこんなつまんねえことしか言えねえの? うわ、ショック」って思ったくらいだった。上の文字面から想像できることを想像できるとおりに書いてある。読書を修身の道みたいに考えている人が言いそうなことがずらずらと。今も色んな人が言ってそうなことがずらずらと。しかも出版社への要望とかがほんとにひどいんだけど、まとめると「作るのに金はかけろ、著者の好きにさせろ、売れ行きとか言うな」って感じになってて、アホかと。こういうお説教が好きな人にはいいのかもしれないんだけど、おれは全然受けつけなかった。しかも森銑三って図書館通いがトレードマークなとこあるわけで、買わない客のクレーム集かこれはってな気分も湧いた。一箇所典型的な箇所を長めに引いてみる。

書物の出版量の激増しているのに反して、その実質は往昔(おうせき)に比して下落して来ている。近来は殊(こと)にその傾向が甚(はなはだ)しい。書物の氾濫ということは要するに凡書の氾濫を意味しており、千百の新刊書中、一、二の良書を見出すことが困難とせられる。ただ售(う)らんがための、その場限りの書物があまりに多過ぎる。さような書物がいかに多量に生産せられようとも、それはその国の文化の向上を意味しない。さような書物に敬意を以て対する気持の起こらぬのもまたやむをえぬことである。書物の粗末に扱われるのも当然というべきかも知れぬ。前章においては、書物を鄭重にすべきことを力説したが、かように見て来ると、それも致(いた)し方(かた)のないことかも知れぬ。そういわざるを得なくなりそうである。ここにおいて私等は、忽(たちま)ち一つの矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)に陥ってしまう。いずれにもせよ、かような書物過多、出版物過多の状態にあるということは、読書家のためにも、書物そのもののためにも、好ましからぬことどもといわねばならぬ。要するにあまりに安価な態度で書物が作られ過ぎている。私等は書物そのものをも、また著作ということをも、もっともっと重く見たい。それには書物そのものを単なる商品と見ている出版業者の頭から改造して行かねばなるまい。(中略)書物をかように安直なものとしてしまった責任の一半は、利慾以外に何者もない出版業者が負うべきではないかと思う。pp.26-27

ね、今もその辺のブログとかで書いてありそうな文言でしょ。
こんなことも書いてある。こっちも長いけど写してみよう。

 出版業者に取っては出版は営業であり、営利ということが唯一のといって語弊があるならば、第一の目的となっている。売れそうな書物でなくては出そうとしない。あるいは売れそうな書物なら何でも出そうとする。そうした態度があまりにも露骨(ろこつ)であったりする。出版界を見渡しても、信用のある出版業者というものがあまりになさ過ぎる。異色のある業者すらも乏しい。個性のある業者、確乎(かっこ)たる方針を有して、それに依って仕事を進めている業者、書物の実質的価値を正しく解することの出来る業者、高い趣味を解する業者、儲(もう)けること以外に、よい書物を出版することを以て楽しみとしている業者、そうした人たちがあまりになさ過ぎる。
(中略)
出版界のみとは限らぬが、失敗はしても、良書は世に送り出して、それが天下後世を益するものだったら、己の懐(ふところ)は肥えなくても、時にはために痛手を負うても、出版業者として立派に成功したのだ。そういう信念で仕事してくれる人が出て来てくれたら、いかばかりか頼もしいことだろう。かようなことをいったら、すぐにその下から、私たちも食っていかなくてはなりません、といわれそうであるが、一人前の男が、ただ口を糊(のり)して行くという一事のために貴重な一生を棒に振ってしまおうとしているのは、決して褒(ほ)めたこととはいわれまい。
まず儲けて置いて、それからほんとうによいものを出して、理想の実現を期します、という態度の業者もいそうな気がする。しかしその通りに実行した実例は存外乏しいのではなかろうか。十も二十も悪いことをして、罪業(ざいごう)消滅のために一つか二つだけ善(よ)いことをして、それで涼しい顔をしようとするのはあまりに虫が善(よ)過ぎる。しかもその善事を大げさに振廻すに至っては鼻持(はなも)ちがならぬ。そうした意味の出版物も時に見かけないではないが、その出版物の内容がいかによいものにもせよ、どこかに俗臭のまつわり附(つ)いているのが顔を背(そむ)けしめる。
たとい大きく儲けなくても、一つ一つ粒選(つぶよ)りの書物を出して行こうと心懸ける、良心的な潔癖な出版業者を見たい。出して行く書物の一つ一つに依って自分の店の個性を造り上げて行こうとしているような業者を見たい。出版協会はそうした業者を盛り育てて行くようにしてもらいたい。
一つでも当ると儲けが大きいから出版業者となった、というだけの人間があまりに多過ぎる。それでは出版文化も何もあったものではない。pp.34-37
「出版文化も何もあったものではない」ってやたらイキっておりますが、「ただ口を糊して行くという一事のために貴重な一生を棒に振ってしまおうとしているのは、決して褒めたこととはいわれまい」とか言うなら自分で出版社やってみたらどうですの? とか反論したくなる。そのあとの「まず儲けて置いて、それからほんとうによいものを出して、理想の実現を期します、という態度の業者もいそうな気がする。しかしその通りに実行した実例は存外乏しいのではなかろうか」に至ってはなんの根拠も示さない印象論だし、その次のくだりなんてもう目茶苦茶である。
ついでにもう一箇所。
出版業者は商人である。大いに売れて大いに儲かりそうな書物ばかりを出したがる。勢い時好に投じようとする。そのために業者の企画と企画とが同一方向に赴(おもむ)きやすく、似寄りの書物が一時にあちこちで出版せられたりする。機先を制しよう、そのために少しでも急いで作ろうとする結果は、著者にも粗製濫造を強(し)いることになる。p.40
今も同じだと思うか、文句のフォーマットに変化がないと考えるかは人によりそう。もういい加減長いので引用するのはやめておくけれど、書く側のことも、ことに売れっ子についてはこんな感じの想像できるよねってフレーズてんこ盛り。著述家という名称にすでに卑屈な感じが伴っているとか言ってるの。本書の「はしがき」で森銑三は

書いてもよいことと、書かなくてもよいこととの区別が附かぬ。結局「書物に興味を持って書物と共に暮している二人の男のたわごと」とでもいうべき、見事無用の書が出来上がった。(中略)かような書物を作ったことにどう意義があるのか。それは私らにも分らない。始末の悪い書物を拵えてしまったものだと、今になって思っている。
と言っているが、まったくそのとおりのたわごとだと何度思ったかわからない。
ところが、この「はしがき」の日付が「昭和十八年五月下旬」となっていて本書の刊行が昭和19年なものだから、話はややこしいというか、糞くだらないたわごとと切って捨てるわけにはいかなくなるのだ。『古句を観る』の感想で書いたことと似てくるんだけど、上に引用したことすべてのターゲットが出版業界の戦争翼賛に対する不満の表明だったらと考えるなら、こりゃ相当な覚悟で書いた文ってことになる。
「書物の出版量の激増しているのに反して、その実質は往昔に比して下落して来ている。近来は殊にその傾向が甚しい。」
「ただ售らんがための、その場限りの書物があまりに多過ぎる。さような書物がいかに多量に生産せられようとも、それはその国の文化の向上を意味しない。」
「売れそうな書物でなくては出そうとしない。あるいは売れそうな書物なら何でも出そうとする。そうした態度があまりにも露骨であったりする。出版界を見渡しても、信用のある出版業者というものがあまりになさ過ぎる。」
「私たちも食っていかなくてはなりません、といわれそうであるが、一人前の男が、ただ口を糊して行くという一事のために貴重な一生を棒に振ってしまおうとしているのは、決して褒めたこととはいわれまい。」
「十も二十も悪いことをして、罪業消滅のために一つか二つだけ善いことをして、それで涼しい顔をしようとするのはあまりに虫が善過ぎる。しかもその善事を大げさに振廻すに至っては鼻持ちがならぬ。そうした意味の出版物も時に見かけないではないが、その出版物の内容がいかによいものにもせよ、どこかに俗臭のまつわり附いているのが顔を背けしめる。」
「出版業者は商人である。大いに売れて大いに儲かりそうな書物ばかりを出したがる。勢い時好に投じようとする。そのために業者の企画と企画とが同一方向に赴きやすく、似寄りの書物が一時にあちこちで出版せられたりする。」
こうした文を昭和18年頃書かれたものという前提のもとに読むと、森の怒りまくってる対象がどんなタイプの本か見えてくるわけで、文字面クリシェだけども発する意図の違いが文の色を変えさせるというか、「馬鹿じゃねえ?」が「すげえ!」に変わる。そしてそう読まないと、「十も二十も悪いことをして~」というメタファーの意味がわからない。逆に書かれた時代を前提にすれば、とてもクリアな読み取りができる。
 そして、「はしがき」の引用箇所にある「見事無用の書」というフレーズの意味も変わる。役になんて立ってたまるか馬鹿野郎である。おまけにこんな本が昭和19年段階で出せたというのは、昔読んだ佐藤卓己の『言論統制 情報官・鈴木庫三と国防国家』(感想)のモチーフ、出版業界総出(編集者も作家も)で戦争に協力的だった自分たちの臑の傷を隠そうとする戦後の動きにも一撃を加えているんじゃないかと思う。こんな「無用の書」が出せるってのは、協力するしかなかったんだって言い分の信憑性を疑わせる。たぶんそれが「かような書物を作ったことにどう意義があるのか」という問いへの当時の筆者たちには知りようもなかった答えだ。本人たちがほくそ笑んだ以上に「始末の悪い書物を拵えてしまったものだ」の射程は長い。
 というような視点と、文字面を普段の(つまり現代の)読解処理にかけようとする脳味噌の条件反射(こんなもん糞馬鹿げたたわごとだ)とが葛藤しまくったために、甲部分に対しては嘘みたいに複雑な読後感が出現した。そのせいでメインだと思って読んだ乙部分は(著者のスタイルがやっぱり外部情勢はすべて無視するってことを徹底しているのもあって)見事に流されてしまった。著者名の順番がなんで年功序列じゃなくて森銑三が先なんだろうと思っていたんだが、こりゃ執筆の分担量だけじゃなくて確かに森銑三の本という印象が強く残るわな。
 基本的には作品って作品単体で評価すりゃ十分じゃないかと、普段本読むときには思ってるんだけど、こういう書物を読むときにはバックグラウンドっていうか執筆年代とその当時の社会情勢くらいは知っておいたほうがいいんだなということもわかった。見慣れたクリシェにも輝きを放った時代があったということが最大の発見。

 で、こんだけ書いたのにおまけを少し。解説の中村真一郎。解説者に求められる基本データの提示もほとんどしないうえに、「お二人とも、この書物の中では、日頃の精妙な文献的追尋の操作から自由になって、浴衣掛けで仕事の余暇を遊んでいる」などと、おれの読みを台無しにするようなことを言ってくれた挙げ句、ほとんど自分の思い出だけを書く(しかも、森銑三とも柴田宵曲ともなんの関係もないエピソードばっかり書く)という大家にしか許されない仕事っぷりを披露していて、「いい加減にしろよ」と思ったら、最後のほうで「森さんの本は、いつも勉強に読むが、柴田さんの本は昔から、過多をほぐすために取り上げながら、いつの間にか俳諧の神髄を覗かせてもらっている」と、一文で両著者の特徴をきっちりまとめて解説の仕事を強引に果たしてるのが、あきれ半分に感心した。最初から最後まで一筋縄ではいかない本だった。

書物 (岩波文庫)

2019年3月9日土曜日

柴田宵曲 『古句を観る』



 幸田露伴から安東次男まで、注釈鑑賞の本もかなり読んだが、知識は得ても、『古句を観る』のように、酔ったことはなかった。
酔った。といっても、いい気持ちになった、というだけではない。読んでいるうちに、著者の文章に同化して、読みおわったときには、成長したような気持、というと嫌味だけれども、自分が変わった感じがした。
宵曲氏の元禄俳句のえらびかた、鑑賞をたすけるための近代俳句、近代短歌、近代詩のえらびかた、そしてなによりも、文体が気に入ったのである。研究、考証、鑑賞でありながら、それ自体が芸術になっている。(原文は旧字新仮名)
うえに掲げたのは『柴田宵曲文集4』の帯に書かれていた都筑道夫による推薦文。さすが本の紹介はお手の物というか、ツボをしっかり押さえた褒めっぷりで、だいたいこんな本であるし、そもそも青空文庫に収録されているので、さっさと本文読み始めてもらえば合う人はそのままつらつら読み続けるんじゃないかという気もするが目茶苦茶ざっとまとめれば、元禄時代のマイナーな句を取りあげて鑑賞してみようじゃないかという本で、俳諧を中心とした雑誌『谺(こだま)』の創刊号から連載したものを一冊にまとめたのだそうな。
十年くらいまえに『新編 明治人物夜話』(amazon)という本を読んだらこれが滅法面白くて、著者の森銑三の本を何冊か眺めたことがあった。柴田宵曲はそのときに知って、『明治の話題』(amazon)とか『奇談異聞辞典』(amazon)とかをつまみ食いしたことはあったけど、一冊通読したのは『漱石覚え書』(amazon)以来2冊目。特徴はとにかく落ち着いた筆致。『漱石覚え書き』にしてもそうだったと記憶するけれど、素材が主役で著者は脇役というスタイルなので、コメントもそこまで長いものはあまりない。それでいて、色々なことを連想することができる。別に著者のほうが考えを誘導して考えさせようってことじゃなく、勝手に連想が浮かぶのである。これも静かな文体のなせる業だろう。
たとえば、
各方面における看過されたる者、忘れられたる者の中から、真に価値あるものを発見することは、多くの人々によって常に企てられなければならぬ仕事の一であろうと思われる。
(p.3)
という一文からは柳瀬尚紀のことを思い出した(それをまとめたエントリ:○○の一 - U´Å`U)し、
「あひさし」は二人でさすの意、相合傘(あいあいがさ)のことであろう。こういう言葉があるかどうか、『大言海』などにも挙げてはないが、相住(あいずみ)、相客(あいきゃく)等の用例から考えて、当然そう解釈出来る。(p.77)
という文を見て「相住」ってのはルームシェアのことだろうかなどと考え(それをまとめたエントリ:相住、同棲、ルームシェア - U´Å`U)、

蚊屋釣ていれゝば吼(ほ)える小猫かな    宇白(p.152)
という句へのコメントから猫は蚊帳に興奮するのか? という考えたこともなかった疑問が生まれ(それをまとめたエントリ:猫と蚊帳 - U´Å`U) 、

涼風や障子にのこる指の穴    鶴声(p.156)
のコメントを見て、ヘミングウェイを連想し(それをまとめたエントリ:障子に開いた指の穴と未使用の靴 - U´Å`U )

灌仏(かんぶつ)の日に生れけり唯の人    巴常(p.183)
という句の解釈への疑問から数え年が意外と最近まで使われていたことを知った(それをまとめたエントリ:灌仏、誕生日、数え年 - U´Å`U )

 もちろん、面白かったのはうえに挙げたものだけではない。調べるのが面倒だったり、どうにも膨らませようがなくてエントリ化を断念した思いつきやら疑問やらはいくつも浮かんだ。今思い出せるだけでも、軽く言及されていた子規の歌「真砂(まさご)なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり」(文脈なしで読むとすっげえスピリチュアルの匂いがするんだけど、子規とスピリチュアリズムみたいなものはつながるのか、みたいな疑問があるので解釈が知りたい)とか『今昔物語集』に出てくるっていう「蜂と蜘蛛と戦う話」(本文読みたい)、さらっと書かれた「伊勢浜が脱走した後、坊主頭で土俵に登ったのが異彩を放っていたことは、われわれの記憶にもあるが」(何その話)なんかは時間あるときにチェックしたい。
 でもって、今まで俳句に興味なかったのに、これを読み終えたら一茶と蕪村は眺めたい気分になっていた(比較とか喩えにはやっぱり芭蕉ともどもよく出てきた)し、もうちょっと宵曲の文章が読みたいと本棚を漁って肥やし化していた『書物』(amazon)を読み出しているうえに、さっきの子規の歌を扱ってくれているんじゃなかろうかと図書館にあった『柴田宵曲文集4 「竹の里歌」おぼえ書/根岸の俳句』まで借りてきた。というくらい、読んでいるあいだ、読み終えたあとの感触がいい本なので、自分的には大当たりの一冊だった。

 でね、こっからは完全に妄想なんだけど、この本って昭和の十八年に出てるんだよ。で、話題が話題だから戦争の雰囲気だの国威発揚的な文言だのは全然ないわけなんだけど、それがもしかすると当然なんじゃなくて著者の強烈な意志の元に文がコントロールされた結果だったんじゃないかなあってのは、読みながらなんとなくずっと考えていたことだった。執筆しない程度で抵抗扱いされる文学者もいるわけじゃない。そっからすると、こんな本を出版するとこまでこぎつけた宵曲、結構気骨があったんじゃないかなあ。ちなみに上にあげた『書物』って本も同じ年に出てるんだよね。のどかに句だの本だのの話をしてるように見えて、世の中相手に絶望的な戦いを戦っていたのかもしれない。巻末エッセイ書いてる森銑三の話によれば、この本、当時は売れなかったらしい。そりゃそうだろう。ついでにそうなることは著者にもわかっていたんじゃないかって気もする。なんで面白かったなあってだけじゃなくて、なんとなく立派な本だなあって印象も残った。良書なのは間違いない。


古句を観る (岩波文庫)

無料のキンドル版はこちら。

2019年3月2日土曜日

ジョゼフ・チャプスキ 岩津航訳 『収容所のプルースト』



ツイッターで書名を知った本。昨日本屋行ったら棚にあったので購入した。
amazonの内容紹介はこんな感じ。
1939年のナチスとソ連による相次ぐポーランド侵攻。このときソ連の強制収容所に連行されたポーランド人画家のジョゼフ・チャプスキ(1896 - 1993)は、零下40度の極寒と厳しい監視のもと、プルースト『失われた時を求めて』の連続講義を開始する。その2年後にチャプスキは解放されるが、同房のほとんどが行方不明となり、「カティンの森」事件の犠牲になるという歴史的事実の過程にあって、『失われた時を求めて』はどのように想起され、語られたのか? 現存するノートをもとに再現された魂の文学論にして、この長篇小説の未読者にも最適なガイドブック。
* 「カティンの森」事件……第二次世界大戦中にソ連の内務人民委員部によって2 万人以上に及ぶポーランド軍将校、官吏、聖職者らが虐殺された事件。アンジェイ・ワイダ監督による映画『カティンの森』(2007)でも知られる。
そんな過酷な環境でなぜプルースト? という疑問はたぶん愚問。訳者解説にはプリーモ・レーヴィが収容所のなかでどうしてもダンテを語りたいという衝動に捕らえられた話が引かれていたけれど、たとえば宮内悠介『カブールの園』(amazon)には第二次世界大戦下の日系人が文学その他の創作活動に取り組んでいたエピソードが出てくるし、敗戦直後には国内で『善の研究』(青空文庫)を求めて行列ができたなんて話もある。そういう状況だからこそと考える方がおそらくは当たっているのだと思う。
とはいえ、著者の序文に書かれた以下の文を読んだときには「すげえことだな」と思わずにいられなかった。
 いまでも思い出すのは、マルクス、エンゲルス、レーニンの肖像画の下につめかけた仲間たちが、零下四十五度にまで達する寒さの中での労働のあと、疲れきった顔をしながらも、そのときわたしたちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて、耳を傾けている姿である。
わたしは感動して、コルク張りの部屋でびっくりしているプルーストの顔を思い浮かべた。まさか自分の死後二十年経って、ポーランドの囚人たちが、零下四十度はざらに下回る雪の中で一日を過ごしたあとに、ゲルマント夫人の話やベルドットの死など、あの繊細な心理的発見と文学の美に満ちた世界についてわたしが覚えていたことの全部に、強い関心を寄せて聞き入ることになるとは、さすがの彼も思わなかっただろう。
著者はここで感動という言葉を使っていて、それは場の状況と話す中身のギャップを踏まえた聴衆の反応について言ってるんだろうと思う。思うし、前述のようにそれはおれもすげえなおいと思った。そのうえでの戯れ言としては、状況関係なく、プルーストの話をして熱心に聞かれるってこと自体も感動的な話に思える。おれは一昨年読了したんだけど、これほど人に話すの躊躇する作品はあんまりないのである。ストーリーを極端にまとめてしまえば、「マザコン男があれこれモテながら年を取り、よし小説を書こうと思った」 という話なんだけど、長さは文庫で13冊あって、読んでいると何度も「ここにはすべてが書いてある」っていう気分が沸きあがるいっぽうで、バスなんかで読んでいると段落が始まるたびに段落終わりを確認しないと途中で降りることになるかもしれないという心配をしなくちゃいけないレイアウトで、冊数だけじゃない理由から人に勧めるのはほとんど無理だし、話している相手が読んでいることを期待することもほぼ無理なんだけど、再読しちゃうくらい魅力的(1巻に関しては集英社文庫、光文社古典新訳文庫合わせて5回読んでる)な、言ってみれば写真写りが悪くて警戒心の強い、それでいてたまらなく可愛い猫みたいな作品なのである。あるいは無茶苦茶面白かった今朝の夢みたいなもんかも。話す機会が到来し、しかも相手が熱心に聞いているって状況だけで十分に感動できる気がする。
もちろん、『失われた時を求めて』には複数の訳書があって、今も複数のバージョンが刊行中なわけだから、読了人数は考えられているほど少なくもないとは思うんだけど、呑み込んだものを吐き出したり、経験を共有したりってのはなかなかできないから関連書がいっぱい出ているんだろうかというのが、上記の引用箇所を読んで初めて浮かんだ連想。amazonでプルーストを検索すると意外なほどヒットする(こんな)のは、語る相手がいない=ほかの人がプルーストをどう読んだか知りたいって欲求がニーズになっているからなのかもしれない。
で、本書は状況の特殊性を差し引いても、そうした飢えを割と癒やしてくれる。作者と語り手を混同しているのだって、当時はそう読まれたんだな(チャプスキはプルーストを同時代小説として読んでいるので、全然不思議なことではない。ずっとあとになってから作品内に「わたし」の名前が一度も出てこないということが明らかになったんだけど、まあその件は『マルセル・プルーストの誕生』(amazon)でも読んでくれ)ってなもんだし、むしろ『失われた時を求めて』にパスカル的なところがあるって指摘だったり、「プルーストの作品にはいかなる絶対の探求もなく、あの長大な数千ページのなかに、『神』という言葉は一度も出てきません」なんて指摘だったりを読んで楽しくなった(つまり、もっかい読み返そうかなと思った)。フランソワーズが口走ってそうな気がするんだけどね、神。
ただ、最後の最後、本文後ろからふたつめの段落の最後の言葉については、状況の特殊性というものをやはり考えずにはいられなかった。プルーストのあれこれを軽やかに語ってきた著者はしめくくりでこう述べている。
医者たちの診断では、彼(プルースト)の健康状態は「仕事場の劣悪な衛生環境」のせいで日に日に悪化していたにもかかわらず、いかなる治療も信じず、一切の療法を拒否しました。医者をしている弟が治療を強制すると、憤然としました。自分の健康状態を見れば、作品が要求する膨大で熱に浮かされたような仕事が死期を早めることを、理解していないはずはありませんでした。それでも、仕事に賭けた彼は、もうそんなことに気を遣うことなく、死も本当にどうでもよくなっていました。
「わたしたちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマ」が、ここで初めて現実と結びついたように読めた。そしてもう一段落を経て、本書は静かに幕を閉じ、そのあとの著者年譜で著者が93年まで生きて100近い天寿を全うしたことを知り、少しだけホッとする。そうした情報まで入れてくれた訳書の作りにも好感を持った。
『失われた時を求めて』読了仲間を求めてな人だったら、きっと楽しめる本だと思う。1925年前後、つまり大正の終わりとか昭和のはじめとかに読了した大先輩の話は一聴の価値ありです。


収容所のプルースト (境界の文学)


ウルトラ蛇足:最後の引用部分について。『プルーストによる人生改善法』(amazon)って本には、すべて台無しになるようなエピソードが紹介されていたような記憶(たしかパーティーいって風邪拗らせたのがとどめになった的な話だった)があって、実際のところはどうだったんだろうなあとも思った。