2022年12月31日土曜日

2022年に読んで印象に残った本。

  20年、21年は作成をサボったのだけど、年末のまとめくらいは作っておこうかなっつーことで、2019年以来のまとめ。

 今年は7月から急に読書が捗るようになって、年の後半はもしかすると自分的には前代未聞なのではあるまいかっつーくらいの読了数になった。読書メーターによると今年読んだ本は246冊だったそうな。1冊めはウィルキー・コリンズ中島賢二訳『白衣の女(下)』(amazon)だった。

『月長石』(感想)を読んでからの十数年でコリンズは何作か読み、そろそろ代表作のこれも読みますかねという感じで21年の暮れから手を付けた。いつも言うことだけどやっぱりキャラクターの描き方が上手。ステレオタイプの誹りなんかまるで恐れていない強さっつーか。本作で言うと、フェアリー氏っていう小心我が儘なキャラクターなんかが典型で、ほかの視点人物によって語られる嫌さが本人の手記になっても全然ぶれなかった。あとはフォスコ伯爵ってキャラの不遜さと彼なりのフェアプレイ精神なんかが一年経っても印象に残っている。それ以外で今年読んだコリンズは『法と淑女』『毒婦の娘』『ノー・ネーム』で、いずれも印象深いキャラクターが登場して面白かった。今日『アーマデイル』の上巻を読み終わったので、今年はコリンズに始まってコリンズに終わった感じ。

『白衣の女』のあと、一生懸命読んだのはDan Wellsの “I AM NOT A SERIAL KILLER”(amazon)。2017年には『アイム・ノット・シリアルキラー』のタイトルで映画(amazon)にもなった作品。


サイコパスであることを自覚している主人公が自分の暮らす町で起きる連続殺人を止めようとする話。殺人衝動のある主人公っていうと『デクスター』とかに前例があるけれども、本書の特色は犯人が人間じゃなくてデーモンだったこと(笑)本作でデビューした著者はこれを3部作に膨らませ、映画化を機に続編をさらに3本書いた。どう考えても後付けだろって感じに厚みの出てくるデーモンの設定やら分量的に長すぎるとか主人公以外のキャラ死にすぎとかいろいろ思うところもあったけど、この人の書く女の子がなんか可愛くてついつい全部読んでしまった。邦訳がなくて残念に思っている。

 ダン・ウェルズの6部作を読み終わったあと、しばらく小説で当たりに思えたものとはぶつからなかったのだけど、その分ノンフィクションに感心するものがいくつかあった。アイニッサ・ラミレズ 安部恵子訳『発明は改造する、人類を。』(amazon)は技術の発明が人間の暮らしや感覚や価値感をどう変化させたかってな話を具体的なアイテムを例に提示していて面白かった。


 冒頭で語られた「二十世紀初頭には懐中時計を使って時間を売る人がいた」って話で一気に引き込まれ、そのままの勢いで読了した。タイトルも表紙のデザインも悪くないと思うし、中身も面白いんだけど、話題になっているのをほぼ見ないのがもったいなあと思う。

 同じ月に読んだ安田浩一 金井真紀『戦争とバスタオル』(amazon)は「あの戦争で「加害」と「被害」の交差点となった温泉や銭湯を各地に訪ねた二人旅」って紹介文通りに進む前半も興味深かったけれど、このタイトルなのに風呂が出てこなかった四章から巻末までの流れに胸が苦しくなった。のどかなイラスト表紙とちょっとズラしが入っているように見えるタイトルからは予想できない展開が待っていた。読み終えたときには、この本に書かれていることは教科書に載せて国民の共通知にしなきゃ駄目だろうと素で考えた。ほんとに広く読まれて欲しい本である。

 安田浩一は『ネットと愛国』(amazon)以来よく読む作家の一人で、『戦争とバスタオル』も安田浩一が共著者ならと手に取ったんだけど、もう一人の共著者金井真紀の『世界はフムフムで満ちている』(amazon)もこれまたすごい本だった。


 1項目2頁で総まくり的に様々な専門家の話をまとめているのだけども、相手の名前は出さないようにしている(たまに誰だかわかるものもあったけど)ため、ノンフィクションにも読めるし創作ショートショートにも見える書きっぷり。創作ショートショートに見えるというのは、その2頁に浮かび上がる物語があるってことね。これを捕まえるためにはどれだけの取材量が背後に隠れているのかと考え、登場する人の人数を数えると気が遠くなる。今年の新刊でベスト1を問うようなアンケートがあったら、自分はこの本に票を入れると思う(本自体は文庫落ちしたものだった気もするがそれでも)。うっかり品切れとかの悲劇が起きないように、はやいとこ電子化もしてほしい。

 三春充希の労作『武器としての世論調査』(amazon)が出て以来、「武器としての〇〇」というタイトルをよく目にするようになった。そうしたうちの一冊に「新自由主義は上からの階級闘争である」と喝破した白井聡『武器としての「資本論」』(amazon)があり、出た当時に面白く読んだ。その後、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(amazon)が出て今に至るまでよく売れている(今もリンク貼るためにアマゾン覗いたらベストセラーマークついてた)。で、資本論ブーム来てるのかなあと思っていたら、日本共産党中央委員会社会科学研究所訳の新版資本論』が完結したって話が聞こえてきた(去年だったかな)。新訳なら読めるかもしれんよねと思って、第一分冊(amazon)から読んでいくことにした。


 こんな表紙。少なくとも岩波文庫版(amazon)みたいに睨まれることはないのでその分取っつきやすかった。あ、顔で思い出したけど、映画の『切り裂き魔ゴーレム』(amazon)にマルクスが出てきた(予告編にもちょっとだけ映ってる)のも、本書を意識するきっかけにはなったかもしれない。で、無謀な挑戦だろうと思っていたら、なんと今月全12分冊を読み終えてしまった。読み終えたっつーより全頁に目を通したって感じだけども。マルクスと言えば資本論、資本論と言えば革命みたいな印象があったんだけども、そんな話は全然なくて1800年代後半の経済学の教科書だった。第二分冊の法規制が検討されていたときの資本家たちの反論がまんま現代で、法規制された結果、彼らの言う通りになったかと言えば全然そんなことはなかったって話が印象に残っている。地代を扱う第三巻は正直読むのが苦痛だった。
 そして7月、選挙直前に元総理大臣が銃弾に斃れるなんて事件が起きてしまった。その月の最後に読んだのが永田浩三『NHKと政治権力』(感想)。

2013年から今に続く体制(これは白井聡の『主権者のいない国』(amazon)で覚えた言い方)の源流が21世紀開始早々の番組改編事件までは遡れるんだなあという印象を強く抱いた。元首相殺害と関係した話題では樋田毅『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(感想)も統一教会の記述が充実していて興味深かった。あとは塚田穂高編の『日本の右傾化』(amazon)も面白かった。統一教会と政治家の話は鈴木エイトの『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』を読むべきなのはわかっているのだけど、ヘイトと歴史修正で儲けてきた小学館にこの話で金を落とすというのがどうしても納得できず、いまだ未読。カルト国家に暮らしているんだという病識を正しく持つためには必読なんだろうと思ってはいるんだけどね……。

 8月の暑さのなか、部屋の本を捨てなければ新しい本が買えないという事実に直面し(増えていく『資本論』をどこに納めるかがきっかけだったんだろうか、もう覚えていない。)、捨てる本を選別するためには読まなければならないと考えて長いあいだ未読本として本棚の肥やしになっていた本に手を伸ばした。『フーコーの振り子』(amazon)や『イリアス』(amazon)はこの時期に読んだ。どっちもちょっと力を入れたら崩壊した。なにせ買ってから20数年が経っていた。本の層の下からハードカバー版『屍者の帝国』(amazon)が出土したのでこれも読んだ。出てすぐ買っていつの間にか所在不明になり見つからないうちに文庫版が出て歯がみをしていたのだけど、こんな話だったかととうとう知ることができた。

 ちょうどその頃、講談社文庫キンドル版の半額セールがあった。紙で持っていた辻真先のスーパー&ポテトシリーズが目に留まった。紙版は全部古本で買ったものであり、電子なら作者に印税が行く。半額なら揃えやすいし紙が始末できればスペースが空く、ということで、『急行エトロフ殺人事件』(感想)を皮切りに読んでいたものの再読プラス積ん読消費して全部電子に置き換えた。そうしたらスペースが空く快感とやっと作者に対価を払える安心感で講談社以外の文庫も電子に置き換える気になってしまい、電子買う→紙を読む→紙を処分するがルーティン化して、20年近くまえ辻真先にドはまりした時期以来の集中的な辻真先作品読書期となった。50冊くらい読み、『名犬ルパン』シリーズもやっと全部読めたし、スーパー&ポテトの初期六部作もようやく全部読め、瓜生慎の第3期『〇〇列車××号』のシリーズも全部読めた。面白いのもつまらないのもあったけど、1冊だけ選ぶなら『サハリン脱走列車』(amazon)だろう。

 残念ながら今のところ文庫はなく電子もなく入手するなら古書一択なんだけども、97年に出た本書、驚くべきは出版社の依頼によって書かれたものではなく、著者が出すあてもなく書き(執筆期間5年分量1000枚超)、持ち込みを行って出版にこぎ着けた作品なのである。著者90年代の頭どうなってんだろうってな出版ペースの裏で、さらに発表のあてがない原稿書いてたとか、マジで本物は違う。しかも――ネタバレになるから書けないんだけど――ほんとによくできてるんだ、これ。講談社電子だけでも作ってくれないかなあ。なお、電子置き換えができないのに本書を読んだのは著者の『鉄道ミステリ各駅停車』(amazon)を読んで出版経緯を知ったからだった。要するに期待値高く読み出したわけだったんだけど、それを超えていったのである。 
 辻真先を一日一冊ずつ読むのは50日くらい続けたのだけど、それに並行して毎日ちょっとずつ、ハーマン・メルヴィル 千石英世訳の『白鯨』(感想)も読んだ。感想に書いたように読もうと思ってから読了までに30年もかかった。読了して3カ月たってもまだ面白かったのかどうかよくわからない。
『白鯨』も『資本論』もいつか読もうと思っていたのをとうとう今年読んだのだけど、そういうデカい山が今年はもう一つあった。シェイクスピアだ。ちくま文庫版シェイクスピア全集は『ハムレット』(amazon)から『マクベス』(amazon)までの3冊は刊行時に買って読んだ(まだ10代だった)んだけど、4冊目の『夏の夜の夢/間違いの喜劇』(amazon)であえなく挫折し、それっきりにしていたんだけど、たまに古本屋とかで見かけて何冊か買っていたらしく、夏の本棚整理で並べてみたら8冊くらいあることがわかった。ざっと4分の1である。もしかして、今の勢いなら全部読めるんじゃないのか? と思い、まずは近所の古本屋を回ることにした(安くあげたかった)。そしたらさらに5冊くらい手に入ったので、残りは本屋に注文して全部揃え全部読んだ。正直題名を見ても(人物名が多い)、あらすじを読んでもそそられることが少ないし、読んだ話もストーリーライン的に面白い気はしていなかったのだけど、とにかく名台詞の宝庫って印象が強い。ならいっそのこと、素敵フレーズを拾うって方針で読めば読めそうな気もした。同じ方針でポエムだと割切って読んだらバルトの『テクストの快楽』(amazon)が読めちゃったのも大きかった(関係ないけど、今確認したら『テクストの快楽』絶版で新訳『テクストの楽しみ』(amazon)ってのが出てたのね。タイトルは旧訳のほうがいいと思った)。『ヘンリー六世』三部作が合本された巻と『ヘンリー四世』二部作が合本された巻は結構手こずったけれどもそれ以外はさくさく読めて松岡和子すげえって思った。1冊をあげるなら『マクベス』か『ハムレット』だけども、デマが共同体を破壊し尽くす話に見えた『オセロー』(amazon)、毒親の洗脳で人生間違えた挙げ句、親の踏み台にされてしまった子どもの悲劇に見える『コリオレイナス』(amazon)あらすじに書いてある悪役が早々に隕石にぶち当たって死んでしまいポカーンってなった『ペリクリーズ』(amazon)、喜劇と称してさっぱり笑えない『ヴェニスの商人』(amazon)『じゃじゃ馬ならし』(amazon)も印象に残った。

 例年は読了したものに限って言及することにしているのだけど、そうすると今年読了本が一冊もなかった小田嶋隆と津原泰水に触れることができない。ということで一冊すべて読んだわけではないけれどあと2冊だけこのエントリーで触れておきたい。順番は作者の亡くなった順で、ここまでと同じく順不同。
 小田嶋隆の冷静な文体で書かれたコラムは読むたび楽しかったし、何冊かはコラム集も読んでいたけれど、自分にとって小田嶋隆の印象を決定づけていたのはツイッターだった。だから小田嶋隆の本を1冊だけ選ぶなら、『災間の唄』(amazon)しかない。

 正直、出た当時はツイートまとめて値段つけるなんて安直な……と思ったのだけれど、著者が亡くなり、さらにツイッターがいつまで存続するかわからないなんて急展開が進む今となっては、よくぞまとめてくださいましたと武田砂鉄氏に感謝したい気持ちだ。

 津原泰水は『蘆屋家の崩壊』を読んだ2002年以降なんとなく気になり続けていて、5年くらいまえにマイブームが到来してあらかた読んだ。なんでもできる魔法使いみたいな人だった。どれ読んでも文章は格好良く美しく、それでいていささか読み切れなかった感じを残した。ある作家と別の作家の優劣を較べるのは難しいけれど、津原泰水に至ってはある作品と別の作品の優劣を付けることも難しい。一作ごとに全然違った世界を展開するからだ。もし別のタイミングでどれか一作と思ったら確実に違うものを選ぶと思うのだけど、今日この瞬間には「I,Amabie」を選びたい。短編集『スカートのアンソロジー』に収録されている。

 この作品ですごいと思ったのは文章表現技術はさておき(もちろんすごい)、サブプロット的に宗教2世の問題を扱っているところだ。発表は2021年で今年の夏以降のニュースを見て作られたわけではない。読んだときには天才はやっぱり天才だなと思い、もう新作が読めないという現実にあらためて落ち込んだのだった。

 改めて小田嶋、津原両先生のご冥福をお祈りしたい。