2019年4月4日木曜日

柴田宵曲 『新編俳諧博物誌』



『古句を観る』(感想)同様、俳句作品を引っ張ってきてコメントをつける本。本書の個性は動植物ごとに章立てしているところ。取りあげられているのは「鳶」「龍」「鯛」「河童」「狸」「雀」「熊」「狼」「兎」「鶴」「猫」「鼠」「金魚」「虫」「菊」「蒲公英」「コスモス」。ええと、空想上の生き物が混じっていたり、「虫」ってなんだ「虫」ってって思ったりするかもしれないが、まあ気にするな。

本書を書くきっかけになった本はジュール・ルナールの『博物誌』(amazon)という作品なんだとか。

で、本文はどの章も淡々と読める『古句』のときのように、これもメモっとこ、あれもメモっとこってな気分にはならなかったけれども、読み心地は悪くなかった。ただ、「新編」と銘打たれている理由らしい追加部分(具体的には「猫」以降)は、編者の小出昌洋がくっつけただけで、もともとの『俳諧博物誌』には収録されていなかったようだ。せっかくだからぶっこんでしまえという気持ちはわかるのだけど、そのせいでいささかシメが悪くなった気がしなくもない。ラストの「コスモス」は字面の統一からいけば「秋桜」のほうがしっくりくる気がしたと思うのだけど、これがカタカナなのには理由があって、

コスモスを秋桜と称するのは何時頃誰がいい出したものか、一般には勿論行われていない。俳人は文字を斡旋(あつせん)する都合上、いろいろな異名を好む者であるが、『新修歳時記』時代にこの称呼がなかったことは、前に引用した文章によって明かである。俳句の季題には冬桜(寒桜)というものがあって、花の咲く季節を現しているから、何か混雑した感じを与えやすい上に、コスモスの花にはどう考えても桜らしいところはない。シュウメイギク(貴船菊)を秋牡丹と称するよりも、遙か空疎な異名であるのみならず秋桜などという言葉は古めかしい感じで、明治の末近く登場した新しい花らしくない。少くともコスモスという言葉に伴う一種の新しい趣味は、秋桜という言葉には含まれていないように思う。ただ上五字に置く場合、コスモスでは据(すわ)りが悪いからというので、五音の異名を択(えら)むというだけのことならば、今少し工夫を費やしてしかるべきである。如何に日本が桜花国であるにせよ、似ても似つかぬ感じの花にまで桜の名を負わせるのは、あまり面白い趣味ではない。四音の名詞はコスモスに限った話ではないのだから、つまらぬ異名を作るよりは、このままで十七音にする方が、むしろ俳人の手腕であろう。秋桜の名が広く行われないのは、畢竟(ひっきょう)コスモスの感じを現し得ておらぬ点に帰するのかも知れない。
という具合に、秋桜でコスモスを現すことに著者が納得していないから。ここだけ抜くとうるさ型なところがもの凄い強調されるわけだけど、全編読めばこんなにぐちゃぐちゃ言っているところはほとんどない。それなのに「コスモス」の章はここで終わってしまい、ってことは本文のラストがこれなので、口やかましい印象を残して読了することになる。しかもそれが筆者の意向じゃなくて編者の配列の結果なんだからいかにも残念な気がする。いや、目次に並べたときに、どこに置いても「コスモス」が悪目立ちする一方で、上記引用のこだわりは確かに読みどころっちゃあ読みどころだからなんとしても入れたいって苦悩した結果、最後にまわしたんだろうと推察はするんだけど、巻末はもっと淡々と本を閉じられるようにしてほしかったというのが正直なところ。


新編俳諧博物誌 (岩波文庫)

追記:本書所収の「鼠」と「狸」も収めたキンドル本をKDPしました!

随筆5本「鼠」「狸」以外は『随筆集 団扇の画』(感想)から採っています。ちょっと柴田宵曲を読んでみたいと思ったときの選択肢にしていただけると幸いです。(がっつり読んだほうが楽しいから、本音を言うとこのエントリの『俳諧博物誌』なんかを読んでもらいたいんだけどね。

0 件のコメント: