未刊行だった随筆をまとめた作品。全体3部に分かれる。先に目次を出しておく。
Ⅰ
月と人
木瓜の連想
狂言の茶
奇蹟
陰徳陽報譚
灯火浪舌
鼠遁
放鳥
のざらし
別天地
からいぬばなし
騙術
碁
団扇の画
からさけ大明神
杜子春
Ⅱ
田楽――鴫焼き
鰆の鮓
甘藷
桑の実
きんとん
氷水
氷水の句
Ⅲ
鳶魚翁
若樹翁
竹清大人
追懐一片――山崎楽堂氏
落葉画伯
残光
香取先生
香取秀真先生の著書
無始無終
読みどころは恐らくⅢと銘打たれた追悼文集。「落葉画伯」と「残光」はともに岡落葉について語っている。最後の「無始無終」は寒川鼠骨の思い出。どれも読み応えはあるが、まとめられると少し腹に思い感じがした。Ⅱとされた部分は食べ物縛り。Ⅰはフリーテーマ。自分はⅠの「奇蹟」がとても気に入った。天竺冠者、伊勢福どのという奇蹟を行う人物の話を取りあげて、どちらもまあ種があり、それがバレて破滅するんだけども、
殊にわれわれの興味を感ずるのは、天竺冠者にしても、伊勢福にしても、一般に知られる前に博奕打なり狐なりの一味徒党があって、この者どもが奇蹟の対象になり、その結果多数の人々がこれに赴くに至る点である。と指摘し、重病人を治してみせるパフォーマンスにサクラがしこまれていたことを取りあげる。
とにかくこういう手合(てあい)が立(たち)どころに平癒する実例を示さなければ、衆愚といえども長く欺くわけに行かぬであろう。世間の人の信仰は赫奕(かくえき)たる本尊(ほんぞん)の光に打たれるばかりでなく、その影法師(かげぼうし)の動きによっても或(ある)程度までは支配される。信者の中の名士の顔触(かおぶれ)が、新宗教の運命に有力な関係を持つのはこのためである。おれがこのくだりを読んだ時に思い出したのは、2012年の政権発足直前、「アベノミクス」だってかけ声とともに株価が一気に上昇したことだった。あのときもきっと影法師が仕事をしたんだろう。でもって、博奕打でも狐でもなく、メディアがその奇蹟を吹聴した結果、「多数の人々がこれに赴く」に至ったわけだなと。なんてタイムリーなことを書いてくれているんだろうと感心した。初出を見ると雑誌『知と行』昭和25年3月発行号とある。そうすると執筆は昭和24年終わりから25年始めくらいだろうか。当時こういう随筆を書きたくなるような事件があったんだろうか、と検索してみたら、光クラブ事件(ウィキペディア) が前年に起きていた。首謀者の山崎晃嗣が自殺したのは11月24日とある。
彼らが今日までその名を伝えているのは、成功しかけて失敗した――失敗の仕方にあるのかもわからない。という末文は、山崎を念頭に置いたものだったのかもしれない。
でね、これ、すっごい気に入って、長さもよくみりゃ5ページちょっとだし、柴田宵曲の著作権は切れているし、いっそKDPしたらどうだろうと閃いて、ポチポチ入力して、ほかの随筆四本(2本は本書から、2本は『俳諧博物誌』(感想)から選んだ)をくっつけて先日、KDPをしてみた。題して『奇蹟:柴田宵曲随筆選』
奇蹟: 柴田宵曲随筆選
定価99円で販売中なので、気が向いたらぜひ。
ただし上に上げた追悼文や表題作「団扇の画」(正岡子規の『病牀六尺』をフックに団扇をめぐる話を展開する。もちろん団扇を使った俳句もたくさん出て来る)は入れなかったので、あくまでも軽く柴田宵曲に触れてみたい人向き。できれば、この『団扇の画』なり『俳諧博物誌』なりのほうを読んでもらいたいなあというのが本音だったりする。
そうそうそれと、柴田宵曲はふんぞり返らない澁澤龍彦というイメージでずっといたのだけど、本書の最後で編者解説を読んでいたら、こんな記述にぶつかった。
右諸篇の柴田さんの署名は、概(おおむ)ね柴田宵曲を以てしている。ついで羅漢柏が最も多いけれども、私は柴田さんほどの筆名を持つ人を知らない。さように多くの筆名を使って書かれた柴田さんがあったという一事をも、考えていいように思われる。次にその署名を知られるままに、列記して置こう。といって、挙げられた筆名じつに17。あれこれのペンネームを使ったと言われると、連想はペソアに行く。編者の言うように、これは「考えていいように思われる」一事だなあと思ったのだった。
随筆集 団扇の画 (岩波文庫)
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