2019年5月10日金曜日

瀬戸賢一 『日本語のレトリック 文章表現の技法』


 さまざまなレトリックをコンパクトにまとめて紹介した本。
 取りあげられているのは、

  • 隠喩(暗喩、メタファー metaphor)
  • 直喩(明喩、シミリー simile)
  • 擬人法(パー祖にフィケーション personification)
  • 共感覚法(シネスシージア synesthesia)
  • くびき法(ジェーグマ zeugma)
  • 換喩(メトニミー metonymy)
  • 提喩(シネクドキ synecdoche)
  • 誇張法(ハイパーバリー hyperbole)
  • 緩叙法(マイオーシス meiosis)
  • 曲言法(ライトティーズ litotes)
  • 同語反復法(トートロジー tautology)
  • 撞着法(対義結合、オクシモロン oxymoron)
  • 婉曲法(ユーフェミズム euphemism)
  • 逆言法(パラレプシス paralepsis)
  • 修辞的疑問法(レトリカル・クエスチョン rhetorical question)
  • 含意法(インプリケーション implication)
  • 反復法(リピティション repetition)
  • 挿入法(パレンシシス parenthesis)
  • 省略法(エリプシス ellipsis)
  • 黙説法(レティセンス reticence)
  • 倒置法(インヴァージョン inversion)
  • 対句法(アンティセシス antithesis)
  • 声喩(オノマトペ onomatopoeia)
  • 漸層法(クライマックス climax)
  • 逆説法(パラドクス paradox)
  • 諷喩(アレゴリー allegory)
  • 反語法(皮肉、アイロニー irony)
  • 引喩(アルージョン allusion)
  • パロディー(もじり parody)
  • 文体模写法(パスティーシュ pastiche)

の全30種。それぞれの項目で、それなりの例文が提示されるのは当然として、地の文でも解説しているレトリックが用いられるような遊びも盛り込まれていた。
 特によかったのは換喩の説明。「鍋が煮える」「手を貸す」「電話を取る」などが例(蕪村の句「春雨やものがたりゆく蓑と傘」も取りあげられた。蓑、傘は人である)で、容れ物で中身(煮えているのは鍋ではない)を示したり部分(手)で全体を示したり逆に全体(電話)で部分(受話器)を示したりするので何が何やらだったのだけど(この何が何やらは本書だけでなくこれまで読んだ類書すべてで何が何やらだった)、「まっさきに目がいったところをことばにしている」という説明で一気に換喩のイメージが掴めた気がした。

もっとも、項目最後で羅生門(青空文庫)に出てきた換喩の例は解釈が間違っているように思ったんだけど、「下人は、老婆をつき話すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色をその眼の前へつきつけた」という文章の解説が、

 突きつけられたのは、刃(やいば)ではなく、「白い鋼の色」です。老婆の目に映ったもっとも目立った特質が「白い鋼の色」だったのです。これも換喩です。
となっているのだけど、老婆の目に映ったのが「白い鋼の色」なんだったら、ここは視点がブレていることになる。が、本文を見ても視点は一貫して下人に据えられている。換喩が使われているという指摘だけでやめておいたほうがよかったね、ここは。

それはともかく、さっきリストにしたレトリックを見て気づく人もいると思うのだけど、『日本語のレトリック』というタイトルなのに、これといって日本語独自のレトリックらしきものが本書には見当たらない。これはどうしてかというと、著者の考えが、「日本語のある一面に優越感を感じるのも、また、ある一面に劣等感を感じるのも、ともに間違った態度だと思います。これからは、日本語は、西洋の言語とも東洋の他の言語とも、本質的に対等な、人間のことばのひとつである、という認識をしっかりもつべきだと考えます」というものだからだろう。そのすぐあとでこうも言っている。

私がレトリックに心ひかれるのは、レトリックがまさにこのことを例証してくれるからです。(中略)こう断言していいでしょう。人間が手にする表現の手段としてのレトリック、これは基本的には人種や文化を超えて平等なのです。
このテーゼは巻末でも繰り返される。

いまなお誤解する人がいるようですが、人間の言語に単純な言語とか複雑な言語というものはありません。どの言語も、人間の言語であるかぎり同じように複雑で、同じように微妙です。レトリックにおいてもそうです。ですから、隠喩や直喩のような比喩をもたないことばなど、考えられません。また、A言語がB言語より「美しい」といえる公平な基準は示せないでしょう。
最近、これと似たような主張を見た気がしたぞと考えたところ、それは『英語の発想』(感想)であった。プロフィールを見ると、本書の著者も英語の学者。出版年は20年違うものの、何か似たような危機感を持たざるを得ないような状況があったのかもしれない。こっちの本に書いてある日本語ブームってのは大野晋『日本語練習帳』(amazon)のバカ売れから始まって斎藤孝『声に出して読みたい日本語』(amazon)あたりにいたる割と気持ち悪かったあれのことだろうから、釘刺す動機としては、安西の当時よりわかる(リアルタイムだっただけに)。でもって釘が刺せたのはたぶん著者の専門が日本語じゃなかったからなんだろうなとも思った。
 これで「日本語の奥深さがわかった」とか言われたら著者泣くだろうなと思いつつamazonのレヴューを見てみたところ、そこまでの抜け作はほとんどいなかったので、著者はホッとしてよさそう(というか、この手の本を読もうって人はその時点で最低限の読解ができるということなのかもしれない)。

 昔読んで面白かった『レトリック感覚』(amazon)、『レトリック認識』(amazon)あたりと比べると、引き込まれ度合いは低かったような気もするけれど、こういう話題が好きな人であれば、読んで損はしないと思った。おれが換喩のイメージをつかめたように、30あるレトリックのどれか一つであっても理解が進めば読んだ甲斐はあるだろうし。逆にこういう話題はじめてって人にとっては、一個一個のレトリックの説明がコンパクトなのでざっと見ていくのにも適していると思う。例文がちょっと古くなってる気もするので改訂版が出てくれたら、もっと強くプッシュするかも。


日本語のレトリック―文章表現の技法 (岩波ジュニア新書)

0 件のコメント: