2022年8月1日月曜日

永田浩三 『NHKと政治権力 番組改編事件当事者の証言』


政権党の有力政治家とNHK最高幹部が放送直前に接触し、慰安婦問題を扱った番組は著しく改変されてしまった。裁判の場でも争われ、多くの人々の関心を集めた二〇〇一年の事件の真相について、担当プロデューサーが沈黙を破って全過程を明らかにした。放送現場での葛藤、政権党と癒着するNHK幹部の姿勢を克明に記した本書は、NHK番組改変事件を知る上で最良の一冊である。関連資料収録。

 2001年に起きた、ETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」の第2夜放送「問われる戦時性暴力」への政治介入問題を番組プロデューサーだった著者が語った本。なんだけども、正直、本線のNHKが政治に忖度して隠蔽を図りましたってところにも関わった人たちのあれこれにもあんまり興味がなくて、じゃあなんで読んだのかって言えば、安倍元首相の成功体験ってこれが最初だったんじゃないの? と思ったから、なんとなく確認がしたくなってだったりする。

 本稿執筆時点では自民党と旧統一教会の癒着が話題になっている。きっかけは安倍元首相が暗殺され、犯人が旧統一教会信者二世だったことから、安倍元首相が旧統一教会関係団体の広告塔やっていた話がクローズアップされ、そこからあいつもこいつもと掘り返しが進んだことである。

 正直に白状すると、安倍元首相が殺される前は安倍元首相と旧統一教会の癒着について、情報として知ってはいても(ネットでは有名な話だった)、たとえば日本会議とか神道政治連盟とかと同じく怪しい関係の一つ程度の認識だった。例の挨拶動画(youtube)も見ていたけど、キモい以上の感想はなく、霊感商法のツボカルトと安倍元首相がくっついているのはむしろお似合いだくらいの認識だった。

 で、事件後に旧統一教会の教義なんかを目にするようになって(例のエバ国家ってやつね)はじめて「おや?」と思った。安倍政権に群がる有象無象って、愛国を旗印にしてたのに、なんでこんな教義のカルトと相乗りできるの? と不思議になったのである。てっきり「韓国にデカい顔したい」くらいが共通の目標かと思っていたのだけど、日本の信者の金を韓国の本部に送金させまくるカルトとくっついているのに、「それじゃ自分たちは応援できません」とならずにいるんだから、「愛国」も建前で「ほかの相違点は棚上げしてもこれだけは達成したい」なポイントはどうやら別にあるらしい。じゃあそれはなんだろうと考えた結果、思いついたのが「健常な男性異性愛者以外は二級市民という社会の維持」なんじゃないかということだった。

 なんてことを考えていたときに、ツイッターの#この時点で気づくべきでしたってタグが目に入り、色んな事例が流れて消えていった。それを見ながらさて、どの時点で気づくべきだったのかと考えた。自分が安倍のことを権力握らせちゃいけないタイプと思ったのは、メディアの露出が増えた2004年くらいからだったので、割と早いほうだったんじゃないかという気がする(それだけに二次政権発足したときの世の中の、というかまわりの人間との認識ギャップに苦しんだし、友達も減った)のだけど、上記のような支持勢力の考えというところは、理解が雑で全方位的差別思想を武器に「戦前回帰」とか「家柄による階級固定」を目標にしていると認識していた。見えているものをそのままに取ればこうなるからだ。ところが、「健常な男性異性愛者以外は二級市民という社会の維持」を目標にしていると考えると、気づくべきだった時点はもしかすると、2001年の番組改編だったんじゃないか? と思い至った。それでこの件を取り上げた本書を読んでみることにした。

 感想としては直感大当たりという感じであった。本書では、十数年後に話題になる日本会議の名前がすでに出ていたのをはじめ、第二次安倍政権下で繰り返された話のプロトタイプのような展開が描かれている。偏向の言葉でNHKを萎縮させつつ、内部の子飼いにデマを飛ばさせて組織内の反発を起こしにくくさせ、介入の存在は隠蔽する。屈服を潔しとしない人は孤立無援に陥る。2010年代に繰り返された光景がすでに展開していた。

 特に印象的だったのは168ページに引用されている松尾武元総局長の言葉だ。

先生はなかなか頭がいい。抽象的な言い方で人を攻めてきて、いやな奴だなあと思った要素があった。ストレートに言わない要素が一方であった。「勘ぐれ、お前」みたいな言い方をした部分もある。

 「先生」というのは安倍のことだ。「勘ぐれ、お前」は、安倍の発想のコア・エッセンスだろう。この恫喝により、NHKはちゃんと安倍の意向を「勘ぐり」番組内容を改変、識者のコメントに至っては話した内容の順番まで入れ替え発話時とまったく違うものに仕立て直して、その識者の信用を毀損する事態になってしまう。これも2010年代のプロトタイプっぽい。

 そして、放送後、VAWW-NET(女性国際戦犯法廷の主催団体)が起こした裁判でも、2010年代のプロトタイプが記録されている。高裁の判決文にそれは出ていた。

本件番組に対して、番組放送前であるにもかかわらず、右翼団体等から抗議等多方面からの関心が寄せられて一審被告NHKとしては敏感になっていたこと、折しも一審被告NHKの予算につき国会での承認を得るために各方面への説明を必要とする時期と重なり、一審被告NHKの予算担当者及び幹部は神経を尖らしていたところ、本件番組が予算編成等に影響を与えることがないようにしたいとの思惑から、説明のために松尾を野島が国会議員等との接触を図り、その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされたというものであり、この時期や発言内容に照らすと、松尾と野島が相手方の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、その結果、そのような形へすべく本件番組について直接指示、修正を繰り返して改変が行われたものと認められる。 215ページ 太字は引用者

  2010年代日本政治有数の流行語「忖度」が出てきていたのだ。安倍まわりで使われた「忖度」の用例としては最古かもしれない、これ。さらに思わず笑ってしまったのが222ページの記述だ。

このとき東京高裁が使った「忖度」という言葉は、その後NHKの番組製作の現場では、流行語のようになりました。

 時代先取り過ぎ。この本は2014年に出版されたものなので、当然著者は数年後に「忖度」が人口に膾炙することなど知らなかったわけで、あのときどんな気分だったんだろうと思った。ちなみにこの箇所はさらにこう続く。

そんたく。岩波国語辞典では「他人の気持ちを推し量ること」とあります。つまり、NHKの幹部たちは、政治家の「公正・中立」という言葉を額面通りに受け止めたのではなく、その言外にある、もっと強烈な意味を推し量って、それにもとづいて、編集を繰り返したというわけです。松尾さんは、安倍晋三氏から、「勘ぐれ、お前」と言われたと語ったとされています。この言葉は、のちに安倍氏は否定していますが、勘ぐれというのは、まさに忖度という言葉と、表裏の関係にあります。
 しかし、どうなのでしょうか。たしかにNHK自身の自己検閲は情けないことではあります。しかし、NHKだけを責めることは、少し酷な気もしてきます。具体的な指示はなかったとしても、あきらかに脅しをかけられたことが、推察されるからです。

 この解説、森友問題発覚後にそのまま使えると思わん? ウィキペディアの項目には記述されていないのだけども、東京高裁はNHKの不法行為を認定した。NHKは上告し、同時にメディア戦略も活発に繰り広げ、メディアの多くがそれに同調し、保守的だと評判だった判事が原告の訴えを退けて裁判は2008年に結審した。BPOが意見書を出したがNHKは無視を決め込んだ。

 全体にあまりにも既視感(同じ方程式使ってる感じ)があってくらくらするくだりが多かった。2010年代の醜悪な政治状況は、2001年の1月には予告されていたようにも思った。というよりむしろ、このときにあんまり上手くいったんでメディアは制御できると安倍は学んじゃったんだろうな。その結果、今に至るまでこの事件の変奏を散々見せつけられることになった。安倍の権力が増すに従って、発生場所は広がり、影響の大きさは甚大になって、自殺者まで出ることになったが、方程式はこのときに完成したものが繰り返し利用されているように思われる。驚くべきことには、安倍本人が撃たれるって事件が起きてからも、システムが自動的に動いているように見えることだ。もはやコントローラーは存在せず慣性だけが働いているのかもしれない。そういう意味で、2001年1月のこの出来事は今に至る方向を決定づける画期的な出来事だったんだろう。

 正直に言えば、この本は話の流れが掴みにくいし、プロデューサーだった著者の言い訳にしか読めないところもある。出来事に対するスタンスが変化する段階もよくわからず、所属が変わったのが理由? とゲスの勘ぐりを入れたくなりもする(おそらく原因は著者の表現能力にあって所属云々ではないんだけども)。けれども、この時代がどこでどうやって発生したのかを伝えている点で、この本はとても貴重な記録を提供してくれている。そして、この本がいつまで生きているかはわからないけれども、この時代が終わるまでは読む価値を持ち続けるんだろうとも思う。安倍はトランプに「私は朝日に勝った」とほざいたらしいけれど、NHKに勝ったことのほうがよほど大きな勝利だった(逆に言えば、ここで語られるNHKの屈服だか敗北だかは、番組一本の話でも放送局一つの話でもない深刻な敗北だった)といってよさそうだ。納得しつつも憂鬱。


0 件のコメント: