2020年9月1日火曜日

山本貴光 『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』

書物界の魔人が世にあふれる“人と本との接触の痕跡=マルジナリア"を追う。余白の書き込みを見つけては考え、知る、新しい本の愉しみ。著名人から無名の筆遣い、プログラミングのコメントまで。読みやすいものから判読不明なものまで。広くて深いマルジナリアの大地を一緒に歩いてみませんか。
 マルジナリアとは本の余白への書き込みのことだそうな。帯には「ペンを持たぬと本が読めぬ。」とある。昔『三色ボールペンで読む日本語 』(amazon)という本があって、それを読み、しばらく本に線を引いたりコメント入れたりしながら読んでいた時期があったのだけど、そのあと自炊に走ったら引いた線が検索と視認性の邪魔になってしまったため、それ以来なるべく本は汚さずに読むようにしている(最後に書き込みしたのはたぶん宮内悠介『偶然の聖地(感想)』で、これは書き込まずにいられなかったが、ほぼ例外)のだけど、人様の書き込みを見るのは結構好きなので、本書も割と楽しめた。特に写真で紹介されたマルジナリアつきのページが楽しかった。
 印象的だったのは漱石がブロンテ『ジェーン・エア』の登場人物に向けたマルジナリアの紹介。

Bad, bad, bad, bad man!

 これはブロックルハースト牧師の言動を評した言葉。興奮するのも無理はない。彼はジェインが入れられた寄宿学校の経営者で、子どもたちにも情け容赦なく自分の正義(という名の偏見)を押しつける。ここではジェインのミスを咎めて、彼女を「神から見捨てられた子」「侵入者」「よそ者」と決めつけ、生徒たちにジェインと付き合わぬように言う。どう考えてもバッド、バッド、バッド、バッド・マンである。(pp.53-54)
 
 そうか、漱石、正義漢だなあと思いつつ、連想したのは漱石の長男だか次男だかが書いたエッセイにあったエピソード。記憶を頼りに書くと、漱石が二人を祭りに連れていった。で、なんか欲しいものはあるかと子どもたちに尋ねたが、片方がものを決めかねぐずぐずしたため、父ちゃんブチキレて、その子を地面にひっくり返し、足蹴にだかストンピングだかをした。エッセイの著者は「父も大変だったのだろう」みたいなことを書いていたはずだが今なら完全に虐待である。よくもまあ、フィクションのキャラクターに対して怒ったりできるものだよ。どうなってんのさ。
 もう一個印象的だったのは93ページに掲載されていたモンテーニュ『エセー』に著者本人が書き込みを加えたもの。印刷された本文の四方全てを手書きの文字が取り巻いている。手塚治虫が素人時代の藤子不二雄に出した手紙がこんな感じだったような(『まんが道』にそんなのなかったっけか)。あるいは映画『切り裂き魔ゴーレム』(感想書いてないけど面白い映画で、原作まで読んじゃった)に出てきたド・クインシーの本の余白にゴーレムが書き込んだ日記かってな見た目。いったい何をそんなに書くことがあるのかと言えば、次のバージョンのための加筆なんだそうな。で、著者は今の岩波文庫版を使って、1580年版(a)、1588版(b)、1588年版への書き込み(c)がどう組み合わさっているかを見せてくれたあと、こう書く。

 モンテーニュの加筆の様子を実感するには、まずaだけを読む。次にaとbを読んでcは無視する。そして最後にcも含めて全部読む。という具合に三通りに読んでみるとよい。初版aでは、読書中によく分からないところがあったら放っておいて、なんなら別の本に行くよね、と言っている。増補改訂版bは、どうして放っておくのかという理由を、だって時間の無駄だよねと述べている。マルジナリアcは、さらに文意を強調してはっきりさせている。(p.96)

 実際そのとおりでこのくだりはとても面白かった。大げさに言うと、泡坂妻夫の『生者と死者』っていう短編が消えて長編になる本を思い出した。しかもこっちは、記号を振るだけである。このa、b、cを振り分けたバージョンの訳書が出たらたぶん買って読むと思う。どこかの出版社出してくれないだろうか。
 ほかにフェルマーやナボコフの書き込みの話とか、石井桃子の書き込みやべえとか、そういうのが好きな人はにやにやできそうなエピソードがたっぷり散りばめられていて、当然にやにやしながら読み進めていったのだけど、所詮ひとさまの書き込みを見てにやにやするレベルの読者でしかないので、ガチの作者に最終的にぶっちぎられることになった。だって、この作者さ、「索引を作ろう」とか言い出すんだよ。

私は、本を読みながら、必要があると自分で索引をこしらえている。(p.157)
 それまで楽しく一緒に遊んでいた人がプロだったんだなと寂しく悟る瞬間とでも言いましょうか。そこまでする人だからこの楽しい本が書けたんだなと言いましょうか。とにかく、超えられない壁の向こうから声が聞こえてきた感じがした。辞書を作るって言うのと同じくらいの狂気(情熱)を感じるんですけど、「索引をこしらえている」って。
 そんな人が書いたんだったらきっと面白いだろうという確信を抱いたので、出たときから気になりつつも手が伸びないままだった『文学問題(F+f)+ 』もいずれ読もうと心に誓ったのだった。

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